共通の「統一性」。

親愛なるあなたへ

どの分野にも「流派」というのがあってその流れで「一つの完成系」ということになりますね。

「混ぜ合わせてよりよいものを」と思ってしまうのですが、専門でない素人が混ぜ合わせると大変なことになる。

一つの流派を通す。

もちろんウソやあやふやなものをそのまま通すとえらいことになりますから、どの流派を採用するかはそこは見極めが必要なことは確かです。

しかし、中身が一本筋が通っているのであればその流派を通す。

占いでも科学でも芸術でもスポーツでも何でもそう。

芸術やスポーツは「個性」が認められるけれども、占いや科学という「理論」に至っては「真実は一つ」のはずだから「流派など原理的にあり得ない」、と思うかもしれません。

しかし、私が理系出身でよく分かるのですが、今の科学で宇宙を完璧に説明することなどできず、次々に新しい理論が生まれては消えていく、という状態なのです。

しかもこの分野ではこう説明するけれども、この分野ではこう説明する、ということが往々にしてあります。

それらはその分野に特化すれば上手く説明できるけれども、混ぜ合わせようとすると全く分からなくなる。

もちろん、「混ぜ合わせる」ことで確固たる地位を築き、混ぜた二つの理論を大方説明できる素晴らしいものもあります。

有名な「相対性理論」もそうですね。

ニュートン力学」と「電磁気学」を混ぜ合わせ、そこにアインシュタインの独自の光速度不変と等価原理を追加した。

このように、「混ぜる」ことによってより真実に近い素晴らしいものができるのは確かです。

けれどもそれは専門家たちの中でも選りすぐりの「熟練者」「天才」たちによって成し得てきたこと。

天与の才がないかも分からない、ましてやその道の専門家でもない熟練者でもないド素人が混ぜ合わせてできるものほど「危険」なものはないではないか、というのが自分でも最近やっと腑に落ちたことであります。

まさに「混ぜるな危険」。

化学の知識がないのに、この二つの洗浄液を混ぜるとより強力になる気がする、あるいは同じ洗剤だから混ぜて使いまわせばコストが下がる、などと素人考えでやれば「毒ガス」が発生する。

身近な例で言えばスマホも同じかもしれませんね。

最近は「シムフリー」の概念が浸透しそれに対する開発が進んでいるようですので不具合は少ないようですが、数年前まではいろんなキャリア、メーカーの「ICチップ」「スマホ本体」を混ぜ合わせると大変なことになるのがよくありました。

私も携帯業界で働いて熟練した知識(当時)を総動員しても大変でしたね。

それらとよく似ていると思います。

一つの流派を通す。

それが一番「効果がある」と思います。

p.s.

一つの流派を通すのですが、その代わり乗り換えはいつでもしてもいい。

納得がいかなかったら乗り換えしてもいい。

そういう流動性はある。

何故ならその流動性の中で熟練者や天才が乗り換えながら混ぜ合わせてより真実に近づけるから。

ただし素人なら混ぜ合わせないこと、ということですね。

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