親愛なるあなたへ
仕事柄色んな生徒さんにお会いし、そしてニュースや知人から教育の場における見聞を得ながら、さらに自分を含めた世間の大人を観察することによって。
相手のことを思って叱ってくれる、ということがとても少なくなったように思います。
正当な意味で。
何かがあれば「ハラスメント」。
知ってる人でさえ、組織の中でさえそうなのだから、ましてや行きずりの赤の他人が叱ろうものならどうなることか。
こんなことを言うと「オヤジになった」と自分でもビックリするのですが、それでも筆者が社会に出たばかりの頃は、まだ赤の他人への正当な叱責を抱擁する雰囲気が残っていたように思います。
当の私も社会人になったばかりの頃に、入った飲食店で隣の方に注意を受けたことがあります。
早熟なのか(笑)当時もありがたいと思っていてその方に感謝を述べ、今改めて思い返してみても本当にありがたく恵まれていることだなと思います。
もちろん、教育する側の姿勢や理念にも着目点はありますが、正当に真正面から叱ってくれることが本当に少なくなった。
これからは指導者も自分で見つける時代に入ったのかもしれません。
聞こえはいいですが最難関の修行。
自ら求めなければ、そして何も言われなければこれが正しいのだと、盲目になりその人の精神性、そして人生に大きな爪痕を残す。
やがて大人になり歳をとってそのまま死を迎える。
よく経済格差が取り沙汰されていますけれども、人を見てもそして行く先々の街の波動を見ても、これからは人間としての精神性、本当の意味での人生の充実度の格差が広がる時代に入ったと思います。
宇宙の流れであるのでしょう。
何かを教えてもらうのではなく自ら学ぶ時代、より高尚な魂の時代へと。
その前の反動としての現象。
通るべき洗礼、であるか。
こんなにも情報があふれ、文明の利器により快適になっているはずなのに、コロナ禍以降、幸福度を感じる割合が極端に低くなっていると言う。
コロナにより外出が困難になった、テレワークという新しい環境への対応ストレスが重なった、そしてそれらの一部が今でも尾を引いていると言われればそれまでですが、小生はそれ以外にも先に述べたような隠れた要素があぶり出されてきた一面の真実もあるのではと、そんな風に感じます。
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