親愛なるあなたへ
オンラインが一般化した昨今。
レストランなどの公共の場でテレビ通話をしている人、イヤホンをつけたまま電話している人を見かけることが増えました。
多くの方が感じられてることだと思うのですが、これらは恐らく「マナー違反」なのですね。
電車の中で電話をしたり、周りが賑やかであっても「不相応の場所」で長時間電話をしたり。
テレビ電話になったりツールが変わってもそれは同じことだと。
でもふと疑問に思うわけです。
何故なのだろうと。
不思議ですよね。
極端な例で、かなり元気に女子高生グループが話していてもそんなにマナー違反だとは感じないけど(笑)延々とテレビ電話をしている人がいるとマナー違反に感じる。
ただ「会話の相手がこの場にいない」というだけでマナー違反に感じる。
ということは声量の問題ではなさそうだ。
独り言を喋っているようで怖い、何とはなしに耳に入ってくる会話が会話相手がいないため怖い、という心理的理由もあるかと思うのですが、それが「マナー違反」と考えるのも無理がある。
これについては理論的に言えば「イヤホンマイクをせずにダイレクトに音を出したらOKか」というと、逆に余計マナー違反に感じると(笑)
もちろん電話やオンラインツールでは気づかず平均的に声量が上回ってしまうことは多いでしょう。
相手がいないことによる不自然さへの生理的反発もあることでしょう。
そういう一面は確実にあると思います。
でも、本質は別のところにあるのではと思ったのですね。
マナー違反の理由は恐らく「周りへの気遣いの有無」なのではないか、と。
声が大きいのが気になるのではなくて、何かあったとき、その場の空気を感じながら臨機応変に対応できるか。
それだけの気遣いを持てるのか。
声量はその中の一要素でしかないのだろうと思います。
たとえ声量が適正だったとしても「マナー違反」に感じる人もいる。
「現場で」通話している側なら周りの空気をすぐに感じるだろうけど、「システムの向こう」にいる人には分からない。
たとえ現場にいる側であったとしてもシステムを通した会話というのはそちらの世界に集中してしまうようで周りが見えなくなってしまうのですね。
通話中の事故など多くの人が見聞きし、また経験しますように。
本当に不思議ですが。
逆にテレビ通話をしててもその場に溶け込んでいる人もいる。
そういう方は画面越しの向こうの方も含めてお互いの周りへの配慮ができているのでしょう。
では先の女子高生の話では、何故ある程度賑やかでも「許される」のか。
それはたとえマナーが悪かったときでも「周りが注意する余地がある」からだと思うのです。
システムを用いた会話だと向こうの相手に注意できない。
たとえ画面越しに注意したとしても、そこには何か「会話している人のプライベート空間へ入り込んでいる」後ろめたさもある。
この「プライベート空間」という言葉からも無意識的にも「周りへの気遣いが二の次になっている可能性が高い」と分かりますね。
そしてその女子高生の例では、たとえ周りが注意できなかったとしても「その場の空気」が本人たちへマナーを伝える「先生」になっています。
公共の場におけるオンライン通話に対する違和感、それは気遣いや配慮を学ぶ環境を排除することに対する違和感なのですね、きっと。
それを我々が学び広まれば公共の場におけるあらゆるツールによるコミュニケーションへの違和感が減ってくるに違いありません。
by You