親愛なるあなたへ
ネットで「電話に出られない若者」に関する記事を読みました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c16825dfbc4caab61647d4910b11c74752667032
SNSの発達により文字によるコミュニケーションが主流となり、外部との「肉声での」会話が激減した、と。
自宅に固定電話がなくなり、電話の取り継ぎ・伝言の経験のない若い人も増えていると。
間違いなくそれが直接的な原因です。
それプラス、個人的にもう一つの背景があるようにも思うのですね。
ITの発達、コミュニケーションツールの発達がもたらしたもの。
それは「個人に自由を与えてくれた」と繰り返し書いてきました。
読み替えれば「他人との距離が明確になった」ということになると思います。
しかしこの「明確な距離」は、「無関心」に置き換わる可能性を常にはらんでいる。
ITの進化によって「相互コミュニケーション」が発達しているように見えますが、実際は「一方通行の主張」が膨らんできているように思います。
極論になってしまいますが、SNS発信あるいは文字ツールを用いたコミュニケーションで主眼に置かれるのは、常に「自分はどう見られているのか」。
もちろん直接的な会話でもその思考は働きますが、目の前に相手がいる以上、否応なしに相手にも関心を寄せなければなりません。
そうしないとその場の「コミュニケーション」は成り立たないからですね。
けれども、文字によるコミュニケーションでは相手の状況を「その場で読み取ることが必須ではない」。
すると「自らへのベクトル」が増幅してしまう。
「自分はどう見られているのか」「どう思われているのか」。
メディアに関して見ると、昔は「芸能界専用」であったものが、youtubeにはじまりそれに追随する数々の情報発信ツールが「個人へもその権限」を与えてくれました。
これは、チャンスが皆平等に分配されたという、一人の人間の可能性を目覚めさせるに喜ばしい「自由の時代」なのですが、逆にそれが「承認欲求を悪戯にかきたてる」危険も持ち合わせている現実があります。
相手の顔が見えないと怖い、生身の人間関係がうまくいかない、承認欲求の爆発。
それらは全て「一方通行の主張」「他人への無関心」「自らへの過剰なベクトル」が裏に潜んでいると思うのです。
これらは非常に複雑に絡み合っていますが、明らかに地続きの関係です。
個人的にはThe・昭和の人間で、顔が見えるよりも顔が見えないツールの方がいい(Zoomでも相手の画面が見えない方が楽)という天然記念物で、それはそれでマイノリティだとは思うのですが・・。
相手の波動をダイレクトに食らってしまうという別の理由であって(笑)決してコミュニケーションの本質をマスターした人間ではないのですが、少なくとも声から相手の調子を読み取ろうという相互コミュニケーションの基本は大切にしたいと思っています。
メディアの発達が先か、他人への無関心が先か。
メディアの発達が先のように思えるけれども、スイッチを入れたのは自らに内在する無関心とも捉えられる、鶏と卵の話になってしまうので「原因」を突き止めるのは容易ではないですけれども。
自由は他人への関心も忘れないという責任の元で。
温故知新ではないですが、どんなにオンラインツールが発達しても電話という機能をなくさないのが、我々に「人間本来の感覚」を自戒させるため必要なように思います。
by You