無機質な情報媒体に含まれる「精気」。

親愛なるあなたへ

今から11年前に気学と出会い、初めて方位を取りました。

人生で最初の「方位取り先」が奈良から和歌山にかけ広大に広がる三千六百峰の峰々が連なる聖地、熊野。

その「古代の気」が今も宿る聖地へ来月再び訪れようと計画しています。

関西圏は伊勢神宮橿原神宮、今回の熊野三山など、悠久の時を超えた神話が息づく我が国の成り立ちをまさに「実地で学べる」素晴らしい場所であると。

それまでは全く無縁であった「神道」や「皇室の歴史」にも触れてみる。

「歴史は当時の権力者によって書き換えられてきた『偽書』である」と、大ベストセラー「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎先生・古賀史健先生もおっしゃっている通り、それは否定できない事実なのかもしれませんけれどもその一端を垣間見てみる。

実地で見る前に、せっかくだから頭でもと、先立ってさまざまな情報もインプットしてみる。

予習してみる、勉強してみる。

勉強などとは表現過大でネットでただググってみた、だけの場合であっても。

無機質であるはずの電子媒体上の情報に、その時「精気」を感じる。

運気を上げる方法。

自らのルーツや祖先、そういう源流について触れてみるとき、気学で吉方位を取ったときと似たような精気が入るのを感じることがあります。

知識だけで運気が上がる、なんてことはちょっとおかしいのかもしれませんけれども、先祖を大切にする、ルーツを大切にする、そういう思いが不思議な世界と結びついて「知識を媒介した開運」というものがあってもおかしくないと思うのですね。

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気学的な入浴。

親愛なるあなたへ

「湯船でお湯に浸かる」健康法。

人間の「気」は水に非常に溶けやすい性質があります。

飛び出したばかりの頃に書いた「お風呂の湯船でグチを思いっきり言って、嫌なことをお湯に溶かし込んで最後にザバーっと流す」という内容は、10年経った今でもその実用性は健在でありますね。

運勢の向上を目指すのであればグチは言わないに越したことはないのですが、気学的な観点からは「溶かす」方法論は非常に有用です。

なので私もクタクタになった日は(グチは怖いので言いませんけれども)お風呂で思いっきり疲れた顔してずーっと湯船に浸かっています(笑)

入浴は適度な水圧がかかって血行を良くするとか、温かい中でヒートショックプロテインが働くとか、浸透圧により毛穴の汚れを押し出すとか・・・そういった医学的、生物学的要素が恐らくメインではあるのですが、もう一つ、気学的な要素も。

普段疲れを外に出せない時も、お風呂のときはここぞとばかり噴出したらいいと思います。

p.s.

なので温泉は源泉掛け流しがベスト。

常に新しいマグマのエネルギーが流れ込んでくるからですね。

でも、たとえ循環式で気が残っていたとしても医学的・生物学的なメリットの方が優先のようで、どんなスーパー銭湯もマルのようですね。

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謙虚になる、ということ。

親愛なるあなたへ

謙虚になる、ということ。

これは「自ら知っていること」「自ら体得したこと」を「曲げる」ことではない。

真実を否定することではない。

だから謙虚になるためには例え一時傲慢になろうとも、勉強して経験を積んで「自分なりの真実」をつかまなくてはなりません。

勉強もせず、経験もしないでいきなり謙虚になってもそれは盲目というもので、「謙虚の真実」共々、そこに神さまが求めているものは恐らくないでありましょう。

謙虚と卑屈は全くの別物である。

もちろん最初から「謙虚の初段」たるものになれればよろしいが、中にはそういう方もいるのかわからないけれども、大多数の未熟な魂である我々一個人、謙虚になる前に、頭を下げる前に、世の中の真理や人生の本質、人間の心の本質というものを世間の常識に流されずに正面から見つめてみたいものです。

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寝起きの顔。

親愛なるあなたへ

「寝起きの顔が人に見せられない!」というのが人の心情かもしれません。

特に年齢を経るとそれが顕著になるものです。

しかし気の観点で言えば、寝ている間は良い気を吸収すると同時に「悪い気を追い出す」。

それが「表面に残っている」のが寝起きの状態です。

溜まっているものが多ければ多いほどそれがよく現れているかもしれませんね。

ともかくも体の生体防御反応で、正しい反応です。

なので「朝、顔を洗う」という行為は「表面に残っている悪い気を落とす」という意味でも大切なことでしょう。

寝起きの顔が良いなら、溜まっているものが少ないということ。

でも寝起きの顔がとても見せられない!という場合でも体を正常に持っていく「ホメオスタシス」的現象でありますから、何かを見直す便利な指標にはなれども、それを人にさえ見せなければ(?)実害は全くないということで、これは安心していいわけです。

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プライドと明快さ。

親愛なるあなたへ

物事をはっきり言えないのはどこかで自分のプライドが邪魔しているのかも、と思うときがあります。

「恥ずかしい」のではなくて。

ビジネスや公的な場、地域・身内の複雑な関係は例外かもしれませんが、自分の想いや要望などをはっきり言えない、そんなときには。

愛の告白の時は言うにしかず、知らないものを知らないということ、あとは親子関係にも見られると思います。

親御さんがお子さんやお孫さんに会いたいなら「自分が」「会いたい」と言えばいい。

それを「相手から赴かせるようにする」のはプライド、この場合で言えば極論「子供は自分の所属物だ」と思っている傾向があります。

自尊心と誇りは自己肯定感を生む大切な材料でありますけれども、余分なプライドは捨て去れば視界が開けて明快な青空が顔を覗かせる。

悩み・苦しみの大きな解決方法の一つに「明快さ」があると、これは強くそう思うのですね。

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睡眠の効能。

親愛なるあなたへ

「睡眠の存在意義」という内容で3年ほど前に記事を書いたのですが、もっと具体的に言うとどういうことになるでしょうか。

おそらく大まかに三つなのではないかと思います。

一、体の生物的、物理的回復の時間。
ニ、体の気の交換の時間。(悪い気を放出しいい気を取り入れる)
三、魂がいったんあっちの世界へ帰って守護霊さんとかと人生の方針を相談しているらしい。

寝る時間がもったいないように感じるかもしれませんけれども、この世以外にあの世とのつながりでも大切な時間であるわけですね。

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