無機質な情報媒体に含まれる「精気」。

親愛なるあなたへ

今から11年前に気学と出会い、初めて方位を取りました。

人生で最初の「方位取り先」が奈良から和歌山にかけ広大に広がる三千六百峰の峰々が連なる聖地、熊野。

その「古代の気」が今も宿る聖地へ来月再び訪れようと計画しています。

関西圏は伊勢神宮橿原神宮、今回の熊野三山など、悠久の時を超えた神話が息づく我が国の成り立ちをまさに「実地で学べる」素晴らしい場所であると。

それまでは全く無縁であった「神道」や「皇室の歴史」にも触れてみる。

「歴史は当時の権力者によって書き換えられてきた『偽書』である」と、大ベストセラー「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎先生・古賀史健先生もおっしゃっている通り、それは否定できない事実なのかもしれませんけれどもその一端を垣間見てみる。

実地で見る前に、せっかくだから頭でもと、先立ってさまざまな情報もインプットしてみる。

予習してみる、勉強してみる。

勉強などとは表現過大でネットでただググってみた、だけの場合であっても。

無機質であるはずの電子媒体上の情報に、その時「精気」を感じる。

運気を上げる方法。

自らのルーツや祖先、そういう源流について触れてみるとき、気学で吉方位を取ったときと似たような精気が入るのを感じることがあります。

知識だけで運気が上がる、なんてことはちょっとおかしいのかもしれませんけれども、先祖を大切にする、ルーツを大切にする、そういう思いが不思議な世界と結びついて「知識を媒介した開運」というものがあってもおかしくないと思うのですね。

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