気持ちの言語化。

親愛なるあなたへ

「大人になる」定義は色々あると思いますが、その一つとして「ネガティブな気持ちの理由を言語化できるようになること」が挙げられると思います。

何かの出来事に対して「イライラする」とか「悲しい」とか。

特に分析が大切なのは「妬み」や「嫉み」ですね。

何故自分は嫉妬してしまうのか、あるいは何故自分は過剰応答してしまうのか。

そういうのを「人間とはそういうものだから」で片付けてしまわず、堅苦しいと思いつつ、面倒くさいと思いつつちゃんと理由を探ってみる。

感情を持つことは我々に与えられた1つの試練みたいなものですから、そういった感情を「思うな」ということではありません。

思ったときに、何故自分はそのように思うのだろう、と考えてみると色んなことが見えてくると思います。

面白いものでそういう理由を考えると自分の心だけでなく、相手を見抜けるようにもなります。

そして本当に不思議なのですが人生のことも分かってくる。

さらに文字通り「不思議な世界」も分かってくる。

私自身がどれだけ分かっているのかと言われると、それは恥ずかしくて言えないくらい未熟な分野にとどまるかもしれませんが、それでも20代からそういうことを考え出して(親や大人が示す感情に対しては小学生頃からその理由を探ろうとしていたように思います)、ようやく一通り落ち着いたかなあ、という感じです。

10年以上記事を書いてる精神論は「ほとんどがこの部分」で、何しろ記事の第1回も「Love Yourself」「自分を好きになりましょう」ですから。

自分自身の心に向き合ってみる。

めんどくさくても、少々怖くても、向き合ってみる。

それが大人になることだと、そう思います。

p.s.

もちろん向き合っただけでは対処できない医学的、霊的な理由もありますからその場合はお医者さんや霊能者、その他専門家の方にご相談されると良いと思います。

私も鬱病パニック障害の経験がありますので医学的な要因が大きい場合があるのも確かです。

人間の心は「自らの精神(思い)」「他の精神(霊)」「それを3次元に閉じ込めるもの(細胞などの物体)」の3つの複雑な相互作用によって「気持ち」が成り立っており、その分析は最難関。

おそらくその最難関の分析が大人になる、つまり人生の目的地の一つだろうと、そんな風に思います。

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終わりなのによろしくお願いします。

親愛なるあなたへ

文脈がおかしいのに何故か雰囲気がまとまることがあります。

それが言葉の本質だと、つまるところ文章の並び方ではなくそこに心が乗っているのかどうかだという不思議な証明でもあると、そんな風に感じた昨今でありました。

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「独り暮らし」向きの人。

親愛なるあなたへ

「一人暮らし」ではない「独り暮らし」。

もちろん物理的に一人で暮らすことは多くの方が経験していることでしょう。

その中でも一人暮らしを大いに楽しんでいる人々を「独り暮らしする」人と私はこう呼んでおります。

本当は誰かと住みたい、誰かと一緒にいたいんだけど仕方ないから一人で住んでる。

結婚したけど単身赴任で仕方なく一人で住んでる。

仕方なくではなくて、もう積極的に一人が極上の楽しみであるという方に。

そういう人々の共通点は何であろうかと自分なりに探ってみたのですが、自身の経験でふと感ずることを。

例えば寒い朝、タイマーでセットされた炊き立てのふっくらアツアツご飯の上に納豆をかけてほおばる。

誰かと住んでたらその人の都合もあるし好みもあるし、一緒に住んでる人数分炊くのですからなかなかアツアツを自分の欲しいタイミングでいただく、なんていうのは難しい。

もちろん人それぞれ違うと思うのですけれども、往々にしてこういうのを幸せと感じる人がきっと「独り暮らし向きの人」ではないかなぁ、なんてそんな風に思ったのでありますね。

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面倒くさい中の自由。

親愛なるあなたへ

確定申告の時期が来ましたね。

法人の場合は好きな時期に決算できますが、個人事業主はこの時期と決められております。

本当は2月16日から3月15日までなのですが、所得税を「払う」のではなく、源泉徴収などで「還付を受ける」場合は1月からオーケーになります。

毎年この時期、正直「相当メンドクサイ」のですね。

しかし、そのメンドクサイ中にも自由を感じる。

複式簿記の帳簿を見直して、証ひょう類と突き合わせ、決算書と申告書をつくってe-taxで送信し、全ての電子データをまとめてバックアップを取る。

これがまたメンドクサイのですよ(笑)

間違いやシステムエラーが出るともはや泥沼化。

まあ職業柄そんな大した量ではないですしほぼパソコンがやってくれますが・・。

それでもそんなメンドクサイことを毎年やるのは憂鬱になるのが一般的。

ところがこの時期はメンドクサイ気持ちの中にも嬉々としている自分も一つ。

「自由を感じる」

自分でちゃんと税金を納めているし、「仕事による入金」があればいいだけでこの方法論は日本国内だったらどこでも通用するから怖くない。

サラリーマンだと会社が全部やってくれるからラクだけれども、その部分を差し引いても毎年ここで感ずる自由の味覚はもはや手放せないものであります。

いつかも書きました、雇用されているときに無意識に感ずる恐怖心(私もそうでしたが)とは「社会の仕組みを知らないこと」なのです。

「仕事を失うから」ではない。

事務職を経験したこともあって細かい作業が比較的苦にならない性格も一因だとは思いますが、面倒くさい中の自由、そういうものもあると思うんですね。

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肉体の自由と精神の自由。

親愛なるあなたへ

40代に入り30代と比べて体力的な衰えというのは自然の摂理だなと、最近大宇宙の真理をひしひしと実感しております。

無事に立派な中年の仲間入り(40代頃から世間では「中年」の認識が強いようですね)ができ、学生時代に周りの「オジサマ」方がおっしゃっていた「気分は学生だけれども体がついてこない」という分かったような分からないような感想を、やっと体験できるように(?)なったのでありますね。

20代から30代で一度大きな壁がある、と言われますが個人的には当時は全てを投げ打って飛び出した時でしたのでそれを感ずる間もなかったように思います。

それが、30代と40代の間で一ランク、キマシタ。

肉体の自由が利かないため物理的な制約というのが出てしまいますけれども、しかし神さまはその代わりに精神の自由を与えてくれているのだと思っています。

それまでの経験からそのときの状況をどう捉えればいいかという、精神の自由。

結局人間の全てを縛っているのは己の捉え方ですので、そういう意味で年齢を経れば経るほど自由のフィールドを交換してるだけであって、本質的な自由度は変わらない、いや、より自由になっていくと思うのですね。

p.s.

肉体的な自由に関しても、経験を積む度に今度は「生活の知恵」がついてきますから、若い頃はただ無鉄砲に動き回っていたものが、動きは少なく効果を最大化する方法をこれまでの人生で人それぞれ学んでいるものなのです。

なので肉体的な自由も「知恵」としての精神的な自由がある程度フォローしてくれると、そういうことだとも思うのですね。

by You

凍てつく夜の虹。

親愛なるあなたへ

先日、毎週定例のジョギングをしてましたらマスクの影響と寒さで眼鏡が曇ってしまいました。

夜だったので視界悪いな、見えにくいなと思ってたところそこに待っていたのは思わぬ世界。

眼鏡の曇りが「雨上がりの空」のような役割をして、入ってくる光を7色に分けライトの周りにまるで「後光」を思わせる美しい虹が現れたのですね。

街の中の全てのライトに、灯りに 全ての光の周りに虹が。

圧巻の光景でした。

いつもの夜の世界が、寒さに全てが凍りついていた夜の世界が光の世界に変わる。

全ての光の中に虹。

夜の光の中に虹。

どんなに弱い光にも。

全ての光に。

魂の中に針の先ほどの小さな小さな光が。

普段は気づかないけれども、どんなに凍えた世界を閉じたくなるような夜にも、神さまが与えてくれた針の先ほどの小さな光の周りに7色の美しい虹がかかっているのです。

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ご縁をつなぐ。

親愛なるあなたへ

縁の糸というのはいつ、どういうタイミングでつながるのか、あるいは復活するのか本当に分からないものですね。

そんな不思議な柔らかさがあります。

「絶縁」という言葉も確かにありますけれども、この非常に不思議なつながりは、根底にそれらの言葉を凌駕する何かが流れているようにも思います。

断たれていたものが不思議なタイミングでつながったりする。

切れたりまたつながったり、そういう運動を繰り返すのは、自らの未熟と成長、その繰り返しが織りなすものなのかもしれないけれど、奥深くには我々人間では感知できない超常的な領域もあるように思います。

そんな人智を超えたものであるからこそ素直な気持ちで受け止めたいと、特に自由気ままにやってる小生ですので自身に思ったことであります。

一人の時間、プライベートスペースを尊重するあまりその反動としてご縁というものを蔑ろにしてきたと否定できない過去もあり、そういう反省と自己への成長も含め、素直な気持ちでこのご縁を大切にしたい。

世の中のご縁の柔らかさに感謝したい。

そんな風に思った年始でありました。

by You