あきらめない基準。

親愛なるあなたへ

「物事を成すには最後まであきらめないことだ」というので「ああ、そうか」と思います。

頭では分かっているけれども、それでも現実には難しいですよね。

「あきらめない」

その基準が分かればもしかしたら元気が出るかも、ということで。

筆者は記事を書き始めた8年前に人生変えて、そこから年収200万円台を続けながら15社以上転職し、本当にもう色んなことがあり過ぎて絶体絶命も何度もあったのですけど、それでも全然あきらめてないんですよ。

ここまで来るとですね、成功というか、経済的自由というか、そういうのは時間の問題だなと不思議に思えるようになるのですね。

この苦労の仕方は成功者の道だな・・・と。

苦労に種類があって、成功者の苦労ってのがある。

あきらめないのに気合いがいるのは最初だけ。

そこからだんだんだんだん「時間の問題だ」と思えるようになってきます。

みなさんも是非あきらめないでくださいね。

by You

捨てにかかるといい。

親愛なるあなたへ

行動を起こすとき人が二の足を踏む理由の一つが「効率を考えること」にありますね。

余計な苦労はしたくない、と。

失敗を恐れるのも一つですが、「そんなことやって何になる」「もう歳だし」というのは、自分の時間をそんな辛いことに使いたくない、今より生活がよくなる、もっと自分らしい人生を歩めるのなら、もっと簡単に、もっと効率よく叶えたい。

でも効率を考えていたのではなかなか難しい。

捨てにかかると上手くいきますね。

by You

都市に出ること。

親愛なるあなたへ

やっぱり、都会に出ることだと思います。

私も田舎出身の人間ですから田舎にいるとその価値観が全てになる。

外の価値観を見ないようになる。

田舎や地方でも上手くいってる人は、何かしら都会とコンタクトをとるという道があるようです。

自分から都会に出ていくか、都会に知人がいてコンタクトをとるか。

ともかくも何か事を成そうと思うなら、一度都会に出てみることです。

いきなり東京!とかでなくてもかまいませんから、自分が行けるところから、それこそ地元の大きなデパートに行ってみたり。

そういう「外からの風」に当たるとアイディアはひらめくもんじゃないかと思うんです。

by You

田舎に帰ること。

親愛なるあなたへ

都会に出ることを書きましたが、今度はずっと都会にいると見えなくなるものがある。

だから私もときどき自然に触れにいくのですが、結局どちらに偏ってもいけないのですね。

簡単に言うと、都市部では肉眼を鍛える。自然では心眼を鍛える。

都市部で暮らしているとよく分かるのですが、気をつけていないとすごく視野が狭くなる。

田舎にいるときは「肉眼の視野」が狭くなるのですが、都会だけだと「心の眼」が閉じてくる。

両方のバランスを取りながら進んでいくのが最善である。

その鍛え方によって都市部でも心眼が使え、田舎でも肉眼が使えれば、それこそ知恵の泉の中にいるようなものです。

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肉眼と心眼。

親愛なるあなたへ

どちらの眼で見るか、という話なのですが、まずは我々、俗世の人間ですから肉眼で物を見るのがよいかと思うんです。

精神性を高めたい、より徳を積みたいと心眼から始めるのもよいかもしれませんけれども、なかなか難しい部分もある。

肉眼で見る前に心眼では難しい。

お釈迦さまも、皇太子として豊かな生活をしていた中、門で人が死んでいるのを見て死への恐怖から悟りを開くために山にこもった。

どんな豊かな人間でも最後は死ぬということを知った。

豊かな生活や人間の死を「肉眼で見て」そのギャップからそういう悩みを抱えていたわけですね。

お釈迦様は大天才ですから、それに遥か及ばない我々なのですから、いきなり心眼は難しいと、これは誰もが認めるところではないでしょうか。

まず肉眼から入る。

ただ肉眼だけでは具合悪いから心眼までもっていくという、順序を踏んだ方がよさそうなのです。

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なかなか死ねない。

親愛なるあなたへ

人間というのは実にしぶとい生き物で、なかなか死ねないのですよ。

みんなああなったらどうしようとかこうなったらどうしようとか、いろんな思いはあると思うんですけれども、やってみれば分かりますけどなかなか死ねない。

本能が「死ぬわけにはいかない」とささやくのでしょうね。

だから何としてでも乗り越えようとする。

自殺についても、私もお気持ちはよくわかるのですが、それでもやっぱりすぐ実行に移さない。

そういう死ぬことに意識を向けることで疲れてしまうのなら、いっそのこと死んでしまえ!の勢いでやってみた方が色々悟れると思うのですよ。

苦しい中でもね。

行動するエネルギーが出ないこともあると思うのです。

ただ、これも経験上、「荒療治」というのがあって不思議に治ってしまうという。

すご腕経営者の稲盛和夫さんも同様のことを本で書かれています。

言葉の不思議ですが、どうせ死なないのなら死ぬ気でやってみた方が楽になると、それが一つの真実のような気がするんですね。

by You

脇役として。

親愛なるあなたへ

自分の中の「楽しさ」と相談して、それが少しでもあれば続けるとよいかと思います。

上手くいかなくても楽しいなら続けてみる。

途中でめんどくさくなっても、これだというものをポッと感ずるなら続けてみる。

もちろん風向きがおかしいなら引いてもいい。

攻め際と引き際を見るのは大切なこと。

例えば自分がどんなに楽しくても世間に受け入れられないのなら、それでは上手くいかない。

そしたら、その続きは脇役としておいといて、別のをメインにしてみる。

攻めるか引くか、という中で、グレーゾーンとして「脇役としておいておく」という選択肢がある。

もしかしたらそれが「名脇役」として外せない存在になるかもしれない。

そうすると続けられるんじゃないかなぁと思うんですね。

by You

人間関係の優先順位。

親愛なるあなたへ

人間の性質として「類は友を呼ぶ」という言葉は真実でして、同じようなグループを作りたがる傾向にある、と。

そして、その作ったグループの中で意識を共有して、その信念を強め合う、と。

だから自分が好む、好まざるによらず、この宇宙の法則の中で動いていると。

「大人の好き嫌い」に関してずっと推奨しているのですが、自分で好き嫌いを判断しないとどんなに自分の意志が強くても宇宙には勝てないものですから。

人間関係の優先順位として、波長の合う友達がいるなら一番よいが、そうではないなら次の優先順位は友達が一人もいないことである、ということです。

by You