不純な人生とは、新鮮な空気を吸うことだ。

親愛なるあなたへ

僕は不純な人生を楽しみたいと思っています。

不純に生きるとは、普通とは違う楽しみ方をすることです。

自分オリジナルの楽しみ方を見つける、ということです。

僕はお金のない生活をしていますが、せっかくだったら、文字通り無一文を体験してみたかった。

先日、半日くらいでしたが、それが実現しました。

わずかな残金で商品二つを買うと、それこそ本当に無一文でした。

1円たりとも残っていない状態です。

でも、空しくならないのです。

興奮してきます。

ぴったり計算が合ったことに、ワクワクしました。

綿密に計算したワケでもないのに、思いついた商品を二つパパっと買っただけで、まるで導かれるかのように、見事にピッタリになりました。

あまりの嬉しさに、満面の笑みでニコニコしていたので、レジをしてくれた女性もニコニコ顔でした。

全ての預金口座にも残金がゼロであることを確かめるために、コンビニのATMに行きました。

お金を一銭も持っていないのに、コンビニに入っていく自分が、笑えました。

無一文とは、不思議です。

全くお金がなくなると、不安になるのかと思ったら、違うのです。

お金から解放された気分になるのです。

小学生に戻った感覚です。

一度でも無一文になってみると、この解放感がクセになります。

「無一文は悲惨に感じなければならない」というのが世の中の常識です。

本当に何もできないから、それがお金に対する純粋な感覚なのです。

でも、そこであえて楽しんでみるというのが、不純な生き方です。

世の中は純粋を求め、不純を否定します。

でも、純粋というのは、風通しが悪くて、もろいです。

不純は、風通しが良くて、強いです。

不純な人生とは、逆境をも楽しんで、魂の風通しを良くすることなのです。

by You