親愛なるあなたへ
運とは神様の力です。
宇宙の流れです。
人間がどうこうできるレベルではありません。
すると、何かとんでもないことをしなければいけないと思ってしまいます。
そうじゃないんです。
運っていうのは簡単です。
運とは、人の気持ちが分かるということです。
人の気持ちが分かると運が開けます。
トイレ掃除をすると運がよくなります。
どうしてかというと、トイレの気持ちが分かるからです。
トイレは物じゃないですかって、それはこの際置いておきましょう(笑)
僕みたいに変な人はトイレに神様が住んでると思い込んでいますから(笑)
要は、最後の排泄を受け止める気持ちが分かるということです。
これはトイレに素手をつっこんで磨いた人じゃないと分からない感覚なんですけど、自分が用を足すとき、受け止める気持ちが分かるんです。
トイレと自分が一体化する。
最後の最後を受け止めるって、すごいことなんですよ。
尻拭いをするって言いますけど、あれと同じです。
最後をきちんと受け止めてくれる人の気持ちが分かるから、運が開けるんです。
最後を受け止めるというのは、自己責任ということ。
人の気持ちが分かるって、自己責任が取れるということです。
運って、自己責任のことなんですよ。
僕たちは修業のためにこの世に出てきますけど、それは何かというと相手の気持ちが分かるためなんです。
因果の解消だって、自分がやられるとこういう気持ちなんだって分かるために起きる。
だから罰ではないんですよ。
自分でやったことだから自分で責任取れよってことです。
それで、それが分かったとき次のステージへ進める。
神様が用意してくれるんです。
何故か上手い具合にいくからこれを運と呼んでるだけで、本当は人の気持ちが分かったことへの合格通知なんです。
もちろん、どの人の気持ちも分かってあげることはないんですよ。
中には精神的に自立できずに相手から奪う人もいる。
話が少しずれるんですけど、「気」って本当にあるんですよ。
同情でズルズル気を奪われると、その人といるだけですっごく疲れるんです。
あとは上手く責任転嫁する人とかね。
こういう人たちに限って「人の気持ちを分かってない」「人を傷つけるのか」って言いますけど、そういう場合は関らないのが愛なんです。
関わるといつまでたってもズルズル行くから自立できない。
痛みを分かってあげてるようで、本当は自立の先延ばしを手伝っている。
切り捨てる愛について書きましたけど、気づける環境を作ってあげることが大切なんです。
運って、最終的には優しさなんですよ。
by You