親愛なるあなたへ
初詣に行くとおみくじを引きます。
たいがい、引きます。
そして引いた後の反応が様々で、目に見えないものを信じない人が大半の我が国でこれだけ顕著に感情を左右されるのかと思うと、その矛盾に腹を抱えて笑いそうになってしまう、のは私だけでしょうか。
一つのイベントなのか。
あるいは何かの罰ゲームなのか。
おみくじの順番を待っていると、前の方にいる軍団が何やら騒いでいます。
「凶!?凶!?」「違うか〜」「え、お前凶!?キテるね〜!」
笑ってる周りとは対照的に、本人は苦笑いと愕然を足して2で割ったような顔に漫画的な縦線が入っています。
他にも女子チームで、少なくとも大吉ではなかったのでしょう、「こんなこと書かれるとこの先不安だわ〜」と、話から推測するに恋愛関係であまりいいことが書かれてなかったようです。
ここでなのですが、正直申し上げますとおみくじってどうでもいいのです。
僕は神様と運命と輪廻転生を語る留年優等生的科学出身の唯物論者なのですが、おみくじに書かれていることは所詮占いです。
ところで、おみくじについて何度か話題に出しているのですが、おみくじというのはそうなりますよということではなく、これからのアドバイスである。
だから凶が出ようが大凶が出ようが関係ないのです。
去年半凶が出た私自身の経験からすると、飛び出してからの2011、12、13年の大吉よりも、半凶の2014年の方がはるかに豊かな生活ができたことを鑑みると「これ当たんねぇな」。
そこに書いているアドバイスが分かればいいだけで。
すると真面目な我々日本人は、アドバイスだとしてもまともに受けて気落ちすることがあります。
どういうことかというと、そのアドバイスがたまに間違っていることがあるということです。
いや、内容は間違っていないのですが言い方が間違っているときがある。
その言い方次第で神様が伝えようと思ったのと別の方向で伝わってしまうことがあるのです。
神様が絶対だと思ったらウソですよ。
古事記の中にはたくさんの神様の話が出てくるそうです。
日本には八百万の神々がいる。
その神様が何か問題が起こると寄り集まっていろんな知恵を出す。
そしてそれを実行に移していくのですが、これがまた失敗が多いそうなんですよ(笑)
たとえばどういう間違いかというと、今年近くの神社で引いたおみくじには「あまりに多くのことを望みすぎてる」やら「考え過ぎて行き詰っている、素直になりなさい」やら色々書かれていたのですが、頑張っている中でこういうこと書かれるといくら相手が神様でもカチンとくるのですよ。
なんたって唯物論者ですからね。
ところがですね、今度職場の近くの神社で引いたら「心をかたく持って一時の不運にあわてさわぎ思い迷ってはいけません」「時がくるのを待ちなさい」「開運うたがいありません」と、このように心のすみずみまで響き渡る素晴らしいお言葉が並んでいるではありませんか。
当然最初のおみくじは速効神社で巻きつけまして、後者は大切に持って帰りました。
そして、素晴らしいおみくじをじっくり拝読していると、ふと最初のおみくじの意味が分かるようになりました。
具体的には望みすぎが悪いのではなく、その望みすぎの夢を叶える方法が執着からの脱却であること、そして少し生活の安定に入ってきたから次へのステップの時期であること。
そういうことが、「ああ、そうか」と分かるわけです。
むこうの言い方が悪いんですよ言い方が(笑)
で、結局何を言いたいかというと、おみくじはいいのが出るまで引いて、いいのが出た後で最初のを見直せばそれで大丈夫ですよ、ということ。
所詮おみくじです。
自分が都合のいいように解釈すればとても便利な道具ですよ。
by You