何故か分かる、という根拠のない理由。

親愛なるあなたへ

私は自分の体験や実感に基づいて記事を書いています。

考えたことが先に来ることもありますが、必ずそれも後で体験や実感と結びついてきます。

ですが、唯一体験にも実感にも結びつかないことがあります。

それが私がさんざんわめいている「親子論」についてです。

これは私の体験や実感を伴わず、「何故か分かる」という根拠のない意見になるので非常に信頼性が乏しいのです。

体験がないから聞いた人は納得いかないかもしれないし、「お前に何が分かる」と怒り出す人もいるかもしれません。

それは仕方がないことだと腹をくくっています。

ただ私としては間違いないと思っている。

どうしてそんなことが言い切れるのか、実は少しだけ理由があるのです。

私は、いわゆる「自分の人生」を歩む前は、子供がすごく欲しいと思っていました。

それがいつからか、こういうことを考え出すと同時に子供を欲しいとは思わなくなりました。

考え出したのが先か子供が欲しくなくなったのが先かは分からないのですけど、そういう心境の変化がありました。

それを思い返したとき、「ああ、気づいたから子供を育てなくてよくなったんだ」と思うようになったのです。

神様は「分かれば」いいんだ、宇宙はそういう仕組みになっているんだと思うようになりました。

魂の構造というのは、「分かれば」それでいいようになっているみたいです。

だから無理矢理経験する必要はない。

無理矢理苦しむ必要はない。

分かればそれでいいのではないでしょうか。

p.s.

ちなみ決して私が立派な人間なのではなく、ただ「子育て」という修行が終わっただけです。

こんな私には、仕事や他のところでそれにシッカリ見合う修行が待ってるわけです。

p.s.

「自分をえらんで生まれてきたよ」(著:いんやくりお)

こういう方がもう「魂の最終段階」にいるのだと思います。

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