私が不幸な人を助けない理由。

親愛なるあなたへ

私は人生を変えてから相当ジコチューになったので、自分が幸せであればある程度それでいいと思っているのです。

個人的に「不幸な人を救う」というのがあまり好きではありません。

これは記事を書き始めたときからチョット徹底していて、「切り捨てる」という内容も幾度となく書いています。

何かお手伝いをお願いされれば快く引き受けます。

でもそれがただの「エネルギー泥棒」であったり、私自身が利用されたりするものであればサクッと切ってそれ以上関わらない。

本当に求めているのを感じて声をかけることもあるにはありますが。

不幸な人を幸せにしてあげようと思っても、可能性としてはゼロに近い。

そしてこれが不思議なのですけれど、不幸な人を無理矢理幸せにしてあげても、何故か本人は「しっくりこない」のです。

幸せになっているのに「しっくりこない」。

幸せになるのが怖くて受け入れられないとか、感覚が混乱している、というのとは別で、もっとこう、「幸せになりたくないんだ」という感じですね。

幸せになる怖さや感覚の混乱は経験上よく分かりますから、それはまた別のお手伝いが必要。

でも、幸せになることがしっくりこない人は、実はまだ不幸が不十分なのである。

お腹いっぱいじゃないのである。

信じがたいかもしれませんが、「幸せのステージにいくために全力で不幸を味いたい人」というのがいます。

今世幸せになるかどうかは分かりません。

本人が気づけば幸せに向かって歩き出すし、まだ修行が必要だとそのままかもしれません。

もっと苦しんで、もっと耐えられないところまでいくと人間は必ず学び出す。

それまでそっとしておいてあげて欲しいのです。

by You