寄付団体。

親愛なるあなたへ

豊かな者が貧しい者へ分け与えるのが当然だ、という発想がはびこるなかで、「寄付」についてよく考えなければならないことがあります。

世間一般は、お金持ちは何か特別のこと(それがいいことであれ悪いことであれ)をやって、他の人が持ちえないものを利用して財を成した、と思っているために「分け与えるのが当然だ」と思っているのでしょう。

これまで述べてきたように、資本主義経済というのは価値を生み出した者が豊かになるようにできているシステムです。

決してお金持ちや裕福な者にとって有利な仕組みにできているわけではありません。

お金持ちや億万長者は義務感からではなく善意で寄付をしますが、それは自らの愛情によるものです。

さらに、貢献感から人類としての所属を確認するためのものでもあります。

自分の経済状態を維持できる範囲での寄付をする。

この「経済状態を維持しながらの寄付」というものに恐らく世間は反発するのでしょう。

もっと経済状態を低くしてまでも恵まれない人を救うべきだ、と。

これはこれまでも説明してきたように、お金というものが有限であり、人の物を奪うという偏見から来ています。

奪ったんだからその分返せ、と。

そして、誰もが豊かになれるチャンスがあるこの資本経済下で行動を起こす勇気のない自分たちへの言い訳としても使われます。

もし自分たちも豊かになれるのであれば、お金持ちや億万長者にそんなことを求めないわけですね。

簡単に言うと美徳という仮面をかぶった嫉妬心からである。

財を成すと間違いなく様々な寄付団体からのアプローチがあると言います。

その中にはわざと罪悪感を持たせるようなやり方の団体もあると言う。

世間の「偏見」をもとに考えると、そのやりとりのときに寄付を求める団体が「善」で断るお金持ちが「悪」であるということになります。

これもよく考えなければならないところです。

寄付団体はお金があるところからないところに渡すあくまで「橋渡し役」なわけです。

自らの団体が価値を創造してお金を稼ぎ出しそれを寄付する、という選択肢もあるはずです。(実際にはそういうところもあるかもしれません)

ところがお金持ちに求める。

それは人に求める方が(つまり橋渡しの方が)ラクだからです。

そこに「豊かな者が貧しい者に分け与えるのが当然」というベールをかぶれば誰も責められなくなります。

つまり、寄付団体がサボっていると考えることもできるわけですね(あくまで「経済」という観点からです)。

本当に貧しい者に分け与えるという信念を抱いているのであれば、必ずや前述の選択肢も出てくるわけです。

お金持ちや裕福になるときには、自分のお金や時間を与えなくても悪い人間ではない、ということを覚えておかなければなりません。

寄付は素晴らしいものですが自ら選定することが大切です。

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