お金の量は信頼の量である。

親愛なるあなたへ

今から、お金の不思議だけど論理的な話をしたいと思います。

お金というものを筋道立てて考えることはあまりありません。

特に、日本は家庭でも学校でもお金について全く教えてくれないから、何も分からないまま大人になりそして社会へ出ていくのです。

まず、世の中のほとんどの人がお金を持つことに抵抗を感じます。

豊かさへの罪悪感。

お金がほしいと思っていても、根底には実は罪悪感がある。

お金持ちに対する世の中の嫉妬や偏見、差別がその証です。

その罪悪感とは何なのか。

以前、お金に対する罪の意識はお金は有限であるという考え方に基づいていると書きました。

自分がお金を持つと誰かが貧乏になる。

つまりは相手のを奪って自分が良くなるのは悪だという美徳からである。

それを嫌って人は豊かさを嫌がるようになります。

それと同時に、これが幻想であることも書きました。

本当はお金は世の中に無限に存在するものであると。

お金は無から生まれる。

アイディアから生まれる。

歴史上アイディアがなくなったことはないのだから、お金も無限に生まれるのだ、という話です。

するとお金は量的な概念がなく流れだというのが見えてくるのですけど、鋭い方はこのような疑問を持たれると思います。

「あの人はお金持ちだ」「日本はお金がある国である」

これがいったいどういうことなのかということですね。

お金が量的な概念でないなら、どうして金があるとかないという表現が出てくるのか。

お金がいっぱいあれば好きなものが買える。

現に、現金に換算したときに日本は1500兆円ものお金が「存在する」ではないか。

東南アジアやアフリカのお金がない国に比べたら明らかに豊かさがお金の量と比例している。

だからお金に量的な概念がないことと矛盾する。

この疑問にお答えしたいと思います。

お金の量的な概念というのは、実はみなさんが思っているのとは少し違うのです。

お金には量的な概念はありません。

でも、実際にある量としてそこに存在するように見える。

一言で言うと、それは「信頼」である。

信頼の度合いがお金の数字となって表れている。

そういうことです。

だから金額とはお金の量ではない。

信頼の量なのです。

日本が1500兆の金融資産があるとしたら、1500兆の信頼があるのです。

それだけ世界から信頼されているということである。

お金持ちの人はそれだけ世間から信頼されているのです。

お金とは信頼を目の前に取り出したようなもの。

だから実際はお金というのは存在しません。

フランス革命の後、ものすごいインフレになって紙幣が紙屑同然になったのは有名な話ですけど、それを見るとお金の「量」では豊かさは決まらないことが分かります。

つまり超インフレ状態のときは、お金はあるけど信頼がないのです。

もしお金が量的なものならあのとき経済がダメになったりしません。

お金は無限に存在する、お金とは流れである、そしてお金は無から生まれてくる。

世の中の一人でも多くの人にこのことを知ってほしいです。

by You