親愛なるあなたへ
「希望」という名の言葉遊びはいかがでしょう。
みなさん希望を持ちたがらないのは、それが敗れたときの「ガッカリ感」「敗北感」「裏切り感」による精神的苦痛のためだと思うのです。
希望には「コストがかかる」と。
ところが、希望は本人が持てばいくらでも湧いてくる。
本人が望めばいくらでも湧いてくる。
そんな不思議の泉です。
コストとは「何かを得るために支払うべき代償」のことですから、何かを支払わなければ得られないのですが、望めば湧いてくる(まさに希『望』ですね)のですからいくらでも手に入ります。
後で「ガッカリ感」を払うじゃないか、と思うと思いますが、「希望を持つ」「ガッカリを払う」「希望を持つ」「ガッカリを払う」「希望を持つ」・・・これを繰り返して最後に「希望が叶う」とすると、プラス1マイナス1を繰り返して希望が叶うをプラス1千万とすると、それまでの「希望を持つ」と「ガッカリを払う」が全て相殺されたゼロの後に、「希望を持つ」「希望が叶う」だから、トータル1千万1。
では、もし「ガッカリ感」を全く払わないという稀有な僥倖の人のケースではというと、希望を持った直後に「希望が叶った」らプラス1プラス1千万で、トータル1千万1。
「あれ、答えが同じじゃないですか」というよく分からない結論がでてくるわけですね(笑)
希望をなくさないことです。
どんなに状況が悪くなっても。
「でも良くなるかもしれない」「でも良くなるかもしれない」って。
by You