モラル・ハラスメントの加害者は何故欲を否定するのか。

親愛なるあなたへ

モラル・ハラスメントの加害者がそんなにたくさん日本に存在するのかとビックリする方もおられるでしょう。

まさか自分がそうではないと。

被害者ではないし、ましては加害者ではないと。

ものすごく簡単に確かめられるテストがあるのですね。

「この人の前では自分の望みを気持ちよく言えないな」というとき、相手は加害者の可能性があります。

そして、「イキイキとした相手の望みを聞いて何故か嫌な気持ちになる」とき、あなたは加害者の可能性があります。

何故モラル・ハラスメントの加害者は欲を否定するのか。

それは自分の自信のなさに気づかず、恐怖のため心の底では自らの人生に絶望しているからです。

だから相手が欲を持つのを許さない。

「欲」とは「希望」。

つまり相手の希望を見ることで自分の絶望を確認するのが恐ろしいのです。

例えば、ある娘さんが「資格を取りたい」とイキイキと言ったとする。

「でも資格だけで食べていけるとは思わない方がいいわよ」と言う親がいる。

何かでみんなから注目された息子さんがいるとする。

「あんまりいい気になると大変よ」と言う。

両方のケースとも本人は心の底から心配していると思い込んでいるけれど、実際は欲を否定している。

簡単に言うと嫉妬の感情、「くやしい」のです。

「欲の否定」は言語としてではなく、非・言語、つまり表情とか仕草とか態度として現れることも多い。

どちらかというとそのケースが大半である。

「私は何も言ってない」と言う人がいるが、それは非・言語メッセージで相手の欲を否定している。

「一見、協力的」な人もいる。

でも何故か気持ちは晴れない。

目標を「言わされている感」があるときは、自分の望むものでなく相手の望みであることが多い。

また本当に自分の望みであっても、それを利用して「自分の劣等感を晴らす」親や先生や上司も多い。

「自分が立派な子供を育てた」という勲章が欲しいのです。

ともかく正当な欲を否定されてる感があるときには、この見えない鎖の可能性を疑った方がいい。

大分前にも書きましたけれども、本当の愛情とは「この人の前だったら自然に振る舞える」と思えること。

自然に振る舞える、つまり「自分の欲を堂々と言えること」です。

もちろん欲がなく幸せにしている人もいっぱいいます。

でも、そういう人は相手の欲を決して否定しない。

「私は欲がなくて幸せ、あなたは欲があって幸せ」

「私、幸せなの」と言いながら相手の欲を否定する人間がいる。

そういう人は本当は人生に絶望していることに気づいていない。

「幸せなの」と言いながら、相手の欲と希望を言語、非・言語問わずに否定する。

「これが幸せだと周りから思い込まされていること」を実行してきて「幸せだと思いこんでいること」に気づかない。

「自分が本当に望むことではないこと」に気づかない。

そういう人間も必ず「幸せは心が決める」と言う。

「幸せは心が決める」という言葉は真実。

ところが幸せなはずの人間が「私はこうしたら幸せ」という相手の欲を聞かされて嫌な気持ちになる、否定したくなるのは何かが歪んでいる。

今の日本に元気がないのは、正当な欲を否定する人間がいっぱいいるから。

モラル・ハラスメントの浸食度合がどれだけ深刻か分かりますか。

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