信念と社会的美徳の対決。

親愛なるあなたへ

信念がある人の話は、「聞いてから」理由が分かることがあります。

意固地な筆者が言うのも変ですが、「なぜそこまで意固地になって?」と思うのですけれども、やはり信念のある人には何かしら感ずるところがあります。

最近よくお話させていただく予備校の先生に関しましても、筆者的にも、そして世間一般からも「なぜそのやり方なんだろう」と思われるところがあるのですが、感性の面からお話を聞いてみたいなと思いご一緒にお食事をさせていただくと、「なるほど」と。

その方も過去の大変な自分の経験をさせまいと生徒さんのためを思ってやっているのがよく分かりました。

では筆者がそのやり方を認めるかというと、そういうわけではありません。

実際にそれでトラブルになったこともよくあるそうです。

ただ、やり方に「嫌味」がなかったので是非お話を聞いてみたいなと。

自分の信念でやったことは、それが正しいかどうかは分からなくても何かしら具体的な答えが出ますから私は好きです。

逆に、「人を傷つけるから」とか「世間に迷惑をかけるから」という「言い訳」で動かない人を残念に思います。

もちろん人を傷つけず迷惑をかけないのに越したことはありませんが、それが歪んだ美徳となって世間に蔓延しているように思う。

殺人やテロ、その他反社会行為の動機(つまり「信念」という形をとって殺人などを「正当化しようとする」)として用いるのはおかしいけれども、その抑止力として働くはずの「人を傷つけるな」「迷惑をかけるな」という力の方が、より歪んだ形で世間に蔓延しているように思う。

逆説的にはなりますが、世間が本当にその人が信念を忌憚なく発揮できるような世界であれば、そういうヘタな反社会的信念は出にくくなってくるように思うんです。

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