生産性の仕組み。

親愛なるあなたへ

最近、オリンピックが色々な「スキャンダル」で騒がれています。

「過去の出来事」の掘り起こしが行われている。

そこに日本の生産性がなぜ低いのかがよく表れているように思うのですね。

東京オリンピックはコロナに始まり種々の辞任劇が繰り広げられる「呪われたオリンピック」などと揶揄されているようですけれども、全てが等価な関係とは思えません。

コロナは自然災害、官僚の不適切な発言が波紋を呼ぶのはこれは完全に世間の裁きにあう出来事なのかもしれませんけれども、先程書きました近頃取り沙汰されている、過去にあった出来事の掘り起こしはこれはもはや「マスメディアの飯のタネ」。

おそらく取材する記者の方々は「真実を報道する」という信念のもと活動に当たっている、「マスメディアの飯のタネ」などとは非礼極まりない、と憤慨されるかもしれませんけれども、その真実を拡散することによって誰かが幸せになるのでしょうか?

SNSが発達した昨今我々一般人にも責任があります。

埃は叩けば誰にでもある。

私にだって山ほどある。

取材しているその方々には埃がないのでしょうか?

SNSで拡散している人々には埃がないのでしょうか?

官僚の方の不適切な発言については、これは先程申しました通り現時点で目の前にあったことですから、それこそ適切な発信があってのマスメディアの意義であると。

しかし過去にこういうことがあって、というのは「それを誰かが知った」「海外に発信を行った」ところで果たして生産性は上がるのでしょうか?

そういう疑問が浮かんでくる。

真実を葬れとは思いません。

ただ、「今」それを出してこのオリンピックという世界的舞台、コロナで世の中が萎縮しているときの希望の灯に対し、何かの生産的な価値があるのか。

生産性というと無機質な響きがあるかもしれませんけれども、簡単に言えば誰かをラクにする、誰かを幸せにするという意味でしょう。

日本は民度が高い国、周りと協力しあって、災害のときも助けあって、という素晴らしい国だと自負しておりますけれども、その生産性の低さはこういうところにも原因があるのだと思います。

日本人はもっと純粋に、他人の幸せを望むことを覚える。

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