愛情と迎合、否定と学び。

親愛なるあなたへ

若い人は大人の心を読む。

若ければ若いほどその心を読む能力は強い。

幼稚園や小学校低学年くらいまではほぼ神さまに近いから、彼ら彼女らは大人が何を思っているか直感的に全て知っています。

仕事柄さまざまな生徒さんたちと接する中。

ときおり「将来大変だろうな」という態度で接してくる生徒さんも少なからずいます。

そのとき、その態度に愛情と言う名の迎合をするよりも、「ちゃんとした人間になってほしいな」というある種の「否定」の感情を「学び」へと転換して伝えられる、そういうこともあろうかと思います。

彼ら彼女らは心を読むことができるのですから。

愛情と言う名の迎合(もちろん全てのケースではなく)をしてしまうのは、相手のためではなく我々が「気にいられようとしている」からに他なりません。

もちろん世の中の諸々、利害関係を含め複雑な事情があり難しいケースがあるのは百も承知の上です。

しかし迎合によって現在の相手を肯定することが、果たして真実の肯定か。

真実の愛情か。

「清濁併せ飲み過ぎている」現代、一つ真実を大切に伝えたい。

そのためには揺るがない確固たる信念が必要です。

こんなに偉そうなことを言えた義理ではないのですが「人を育る前に自分を育てよ」とはきっとそういうことでもあるのでしょう。

by You