親愛なるあなたへ
能登の地震で炊き出しのボランティアに駆けつけた方々のゴミ放置問題が大きな話題となっているようです。
被災された方々は大変な中を来てくれた恩もあり、その困惑した状況と合わせ複雑な気持ちでなかなか言葉にし辛いに違いありません。
ボランティアは本当に素晴らしいことです。
自分の生活を置いて、遠く能登まで駆けつける熱量は生半可で持てるものではありません。
筆者のように募金だけして自らの日常に腐心している人間とは全く違う。
けれども、その記事でも述べられていましたがボランティアは「自己完結すべきだ」。
私も全く同感で、大きなことはやはり自らの基本的なことができてから、というのが筋だと思うのです。
駆けつける人に大きな愛があるのは間違いありません。
困ってる人に喜んでもらいたい。
そうしたら嬉しい。
それが大義です。
それともう一つ、その愛が「偏った形で大きくならないようにする」という、一つ社会的な責任もあろうかと思うのです。
昨今騒がれてる私人逮捕に代表される偏った正義感。
あれは己の自己顕示欲の強さだけで、今回の一件とは全然違うように見えるけれど、よく考えてみると、自らの基本的なことができてからの外へのサポート、という点では地続きのような気がするのです。
自らの自己満足だけの助けは誰も幸せにしない。
ボランティアにも行かない口だけの人間が言うことではありませんけれども、だけれども、これだけは。
大義の前に足元を見る。
by You