親愛なるあなたへ
人生で試練を受けると、人の痛みがよく分かるようになります。
人間は、体験しないと感覚で捉えることができません。
試練を経験することは、体で人の痛みを味わうことなのです。
試練を抜け出そうとする人が、悩むことがあります。
それは、試練を卒業すると人の痛みを忘れてしまうのではないか、ということです。
人間の弱さを目の当たりにした人なら、その弱さから目を離すことになってしまうのではないか、ということです。
でも、人間は一度体験したことは、絶対に忘れません。
強烈な体験であればあるほど、です。
「忘れてしまうのではないか」と心配している人ほど、心配無用です。
気をつけなければならないのは、今、まさに試練から抜け出ることができた人です。
試練から抜け出ると、楽になります。
すると、多くの人が、その「楽」なことに罪悪感を持ってしまうのです。
僕も、そうです。
でも、他人の痛みを知ったり、人間の弱さを知ることは、手段です。
痛みや弱さを知るのは、自分と周りをハッピーにするための手段なのです。
目的ではありません。
ですから、試練を乗り越えた後は、他人の痛みに同情してはいけません。
常識では、人の痛みに同調することが美徳とされています。
でも、これは違います。
慰め合いが人をハッピーにすることは、ありません。
自己犠牲の精神の上に立つと、何となく相手のために尽くしたような感覚に陥ります。
でも、これは幻想です。
自己犠牲の精神で相手に与えると、相手は、次の相手に必ず自己犠牲の上に成り立つものしか与えません。
結局、誰もハッピーにはなれないのです。
自己犠牲は、「あらゆるものが不足している」というマイナスエネルギーから生まれます。
試練を乗り越える最後の関門は、この負の連鎖から抜け出すことです。
僕が、今、まさにこの段階に来ています。
周りをハッピーにするためには、楽になった自分を肯定することです。
楽になった自分を肯定してあげると、他人の負の連鎖も自然に取り除いてあげることができるようになるのです。
by You