人間はみんな、生きているだけで、しなやかだ。

親愛なるあなたへ

「人間は考える葦である」

数学・物理学者として有名な、ブレーズ・パスカルの言葉です。

パスカルの生前のメモを集めて出版された著書「パンセ」に記されています。

このフレーズを知っている人は多いですが、真意についてはなかなか知らない。

僕も、その意味の深さに、感動しました。

葦は、池や沼に生えるイネ科の植物です。

人間を「葦」に例えているのは、大自然に対して無力な存在であることを比喩しています。

でも、なぜ弱い対象を「葦」に選んだのか。

それについて興味深い記事を読みました。

弱いのであれば、「人間は考える蟻である」「人間は考える蝶である」「人間は考えるクローバーである」など、何でもいいような気がします。

でも、これらでは人間を例えるには十分ではないのです。

葦は、風が吹くとしなります。

嵐の真っ只中では、茎が曲って倒れてしまいます。

でもその猛威が去ると、再び茎を起こし、また微風にゆれる元の姿に戻るのです。

樫や楠の大木は、強い風に対してビクともしないので強そうです。

でも、固い幹は、極限の猛威の前では根っこから折れ、再起不能になってしまうのです。

葦は、強い風にすぐにしなって倒れるし、微風にさえもユラユラしていますが、折れません。

ここに、自然・宇宙に対する人間の位置づけが、表されています。

人は、大自然に対して、無力です。

でも、屈しないのです。

宇宙がチョンとつつくとグニャリと曲るので、一見弱そうです。

でも、必ず自分で立ち上がり、復活するのです。

人間が生まれながらに与えられている、しなやかさです。

人は、みんな迷いながら生きています。

どんなに悩みがなさそうな人でも、必ず迷いながら生きているのです。

いつも、ユラユラ揺れているのです。

人生の中で大きな悩みがあれば、グニャリと曲ってしまうときもあります。

でも、元通りになるのです。

人間は、必ず復活するようにできています。

厳しいこの世に生を受けた代わりに、神様が与えてくださった武器です。

「パンセ」が「思考」という意味であるのが、また、深い。

思考は、人間に与えられた試練であるとともに、大いなる贈り物なのです。

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