本物を求めると、極みに触れる。

親愛なるあなたへ

僕は、自分を大好きになるために作家活動をしています。

本物の自信とは何なのかを考えた、ということです。

生まれ変わったのはカッコイイ男になりたかったからだ言ったのはそういうことなのです。

人間は足場や芯を持たないと生きていけない生き物だという記事を書きました。

それはつまりどういうことなのかというと、常に思考を働かせなければいけないということです。

僕のどん底経験は、自分の魂を破壊してみる経験でした。

心を丸裸にする、思考を取り去るとも表現します。

考えないのではありません。

体から思考を引きはがしてみるのです。

やろうとして、僕にはそれができませんでした。

挑戦しては跳ね返され、また挑戦しては跳ね返されを丸1年繰り返したのです。

それをしてしまうと僕自身が存在できないという確信を得る経験をしたわけです。

体と心は常に一つなのだな、と実感しました。

この話をしても理解してもらえないのは分かっています。

少なくとも僕が今まで話をした中で分かってもらえた人はゼロです。

でも、この経験のおかげで僕は人が生きる価値について追及する楽しみを得ることができました。

その中で「本物の自信は自力で生きていくことでつけていく」という答えを得ました。

でも、それよりもずっと前の、それこそ記事を書きはじめた頃の「最強なのは根拠のない自信だ」という文章がずっと気になっていたのです。

根拠がない自信、自分の中に流れる波を感じる自信とはいったい何なのだろうと考えていました。

しかもそれが、最強なのです。

自分では具体的にどういうことなのか分からないのに、そこに根っこがあると思うのです。

自分でエサを取ってくる自信が本物なのは確かだけれど、それを支えるもとの何かがそこにあるのです。

不思議な感じがしました。

自分で書いていて意味が分からないとはおかしな話ですが、本当に不思議な感覚なのです。

この記事は別の何かによって書かされていると本気で思っているのですが、逆に言えばそれなら当たり前かなと思いました。

この世で究極の自信とは、自分の想いを叶える力に気づくことです。

勝てると思ったら、勝つことができる力です。

モテると思ったら、モテる力です。

お金持ちになれると思ったら、お金持ちになれる力です。

もちろん夢が叶うと思ったら、それを実現させる力です。

力をつけるのではありません。

もともとあることに、気づくのです。

根拠は必要ありません。

足場もいりません。

ルックスも、才能も、今の財産も全く関係ないのです。

強いから勝つ、美人だからモテる、商才があるからお金持ちになるのではありません。

ただ自分の体に、自分の思考が宿っていることが分かればいいのです。

本物を求めると、神様は本物以上のものを見せてくれます。

僕のテーマである「Love Yourself」は何も改まった人生哲学のことを言っているのではありません。

勝負ごとも、恋愛も、お金儲けも、夢を叶えることにも全て通じているのです。

あなたの魂は、あなたが求めている答えをずっと待っています。

心の声に、耳を傾けることです。

それが、あなたがもっとも輝くことのできる人生のスタート地点なのです。

p.s.

最強の自信を知ることができても、そこで終わりではありません。

僕の「Love Yourself」のゴールは、心と体が別々になっても自分を大好きでいられることです。

自らの魂と同化すること、そしてお釈迦様のような存在になることです。

以前の記事で書いた、一生涯かかっても絶対に到達できないような究極の動機・究極の目標です。

ゴールがないって、幸せですね。

by You