愛は理解できなくても、それでいいんです。

親愛なるあなたへ

愛って理解するものではないんですよね。

気づくものなんです。

本当に色んな愛がありますけれど、僕だって気づいていない愛がいっぱいあります。

僕は全ての物事は起こるべくして起こっていると言ってますけれども、中にはとてもじゃないけどそんな風に思えない出来事も山ほどあるんです。

事件とか事故のニュースを聞くと、本当に胸が痛くなります。

「何で」って思います。

運命と言うにはあまりに残酷な話も聞きます。

当事者の方々に「神の愛ですよ」なんてとても言えたものではないですけれども、だから、そういうときは「神の愛だ」なんて思わなくていいんです。

頭で理解しようと思っても不可能なんです。

僕もエラそうに書いてますけれど、神の愛の本質なんて分かっちゃいませんからね。

親心が親になってみないと分からないのと一緒です。

だから、神様の愛も神様でなければ本当にところは分からないのです。

神の愛は無理矢理分かれっていうものじゃなくて、人生辞めたくなったとき「誰かがそんなこと言ってたな」くらいに気づけばそれでいいんです。

苦労はしないに越したことはないんです。

いや、これ本当に。

ただ、何度も書いてる「脳がちぎれるくらい」悩んで苦しまないとこういう話は響かないんです。

だから、今辛い人は「神の愛だ」なんて思わなくていいですよ。

自分が楽になる方法を考えればいいのです。

それが正解なのです。

それで、自分が楽になる方法を考えていることが神の愛なんだと分かれば、それで人生100点満点なんです。

by You