偏見を持たれたときはね、そのまま続けて逆もやればいいんですよ。

親愛なるあなたへ

好きなことでも周りから偏見を持たれてしまうことがあります。

人目が気になるのは自分の中に偏見があるからだと言いますけど、いきなり偏見を取り除けって言われても難しいものです。

心から入るのは立派かもしれないけれど、難しいことって役に立たないから。

人間はずっと同じことを言われると、それが脳の中に入ってしまいます。

その状態で「さぁやれ」と言われても難しいのですよ。

前にも同じこと書きましたけど、心から入るって難しいんです。

そのときは行動から入る。

行動から入るとカンタンです。

まず、偏見の理由を分析します。

どうして偏見を持たれているのかを考える。

偏見っていうのはしょうもないもので、ごく一部の例を情報操作によって拡大解釈しているだけなんですね。

例えばオタクと呼ばれる世界が好きな人もいますよね。

世の中には、そういう世界が好きな人を現実逃避だとか生身の人間とコミュニケーションを取るのが苦手だとか言う人がいるんです。

もっといくと犯罪の元凶にされたりね。

どうしてそうなるのでしょう。

中にはそういう人もいるかもしれません。

でも、原因をそれに収束させるには無理がある。

母数が多いって聞きますけど、世間の「刷り込み」による影響も無視できません。

例えば、お前はずっとダメだって言われ続けると自分はそうなんだと思ってしまう。

全然ダメじゃないのにずっと言われ続けるとそう思い込んでしまうんです。

不幸は勘違いから始まるって書きましたけど、ホントにそうです。

それと同じことを世間がしてる。

コミュニケーションが不足してると言われるとそんな気がしてしまうのです。

僕自身の経験で言えばね、全く逆の効果を得られるときもあるんですよ。

自分を変えるために外部からの情報を一度シャットアウトしたときがありました。

当然人間関係からも少し距離を置く。

その状態からもう一度振り子を降り直すとき少女アニメを見たりしたんですね。

そしたら戻ってこれた。

逆ですよね。

だから世間が言ってることは幻想ですよ。

とは言っても周りが変わるわけではない。

そういうときは自分を変えてしまえばいいのです。

偏見が自分には当てはまらないことを示せばいい。

偏見は克服するのではなくて、自分には当てはまらないんだと示せばいいんです。

例えば、僕は不思議な話をします。

不思議な話だけすると変な宗教だと勘違いする人もいる。

それはそれでいいんです。

エセ科学を語る新興宗教って言われてもあんまり気にならないのですよ。

何故かというと本当の科学の世界を知っているから。

勉強できなくてもそこそこ語れるのです(笑)

変な宗教にハマるような人間ではない、冷静ですよと周りに示しているんです。

だから平気で神様とか言える(笑)

そういうことです。

オタクっぽいって言われたら、いやいや営業バリバリやってますよとか言えばいいんです(笑)

自分が当てはまらないことを示せばいい。

そうすれば周りがいくら偏見を持とうが、自分の好きな世界を思いっきり楽しめますよ!

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