肩の力を抜く幸せ論。

親愛なるあなたへ

「自分が幸せになるためには人の幸せを願うことだ」

哲学者はこう語ります。

結論から言うと、その通りなのですよ。

人の幸せを願い出すと幸せ一直線です。

ところが、人の幸せを願うってエネルギーがいる。

まずは自分が幸せにならないといけない。

自分が幸せになるからエネルギーが湧いてきて、人の幸せも願うことができる。

エネルギーが足りないのに人の幸せを願っても苦しくなってしまいます。

立派な方はすごいです。

右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい。

嫌な人の幸せを願いなさい、嫌な部長のために、悪口言う姑のために幸せを願いなさい。

正直言いますよ、できるわけないでしょう(笑)

いや、エネルギーがあればできるのです。

でも苦しくなるまでやることありません。

幸せの願い方にも順番があるのです。

思い方に順番がある。

嫌な人に向かって「この人が幸せになれますように」って思えなくて全然いいのです。

まずは自分が幸せになることを考える。

自分が幸せになるには、自分が人に嫌なことをしなければいいのです。

そのための思い方。

嫌なことをしなければいいだけだから、そこに「この人が幸せになれますように」なんて高度なワザを使う必要はない。

嫌な人見たら「コイツは地獄に落ちるんだな」と思えばいいんです。

やってない自分は大丈夫だ。

少し慣れたら「嫌なことを後で刈り取らなければいけないんだ、可哀そうに」って思いっきり憐んであげる。

そしてそれも慣れたら「どうか幸せになれますように」って思えばいいのです。

幸せを願う云々より、人に嫌なことをしない思い方でカンタンに幸せになれますよ。

ここに書いてることも全てではありません。

自分の気持ちが軽くなる幸せ論を見つけてみてくださいね。

by You