優しさとは、強い者が弱い者に力を使わないこと。

親愛なるあなたへ

優しくするってすごくいいことです。

友達に優しく、恋人に優しく、同僚に優しく。

優しい人が一人いるだけでその場の空気が和みます。

誰にでも優しいのは素晴らしいことですが、少し考えることがあります。

それは、誰に対して優しくするのかということ。

どういう関係性で優しくしてるのか。

理屈っぽいけど、これを考えることは実はすごく大切なのです。

「優しくする」

優しさの正体は、「立場の強い者が弱い者に対して力を使わない」ということです。

当たり前に思いますけど、現実はそうでもない。

例を出しますね。

親御さんで「うちの子は優しいのよ」って言う人がいます。

「いつも自分たちを気遣ってくれて」と。

これが実はおかしい。

子供が親に優しくする。

どうしてそうなるのか。

本当の優しさは立場の強い者が弱い者に対して力を使わないということ。

親と子供では親の立場が絶対的に強いんです。

だから、その子が親に優しいというのはどこか歪んでいる。

多分、その子は本当に優しい子だと思うのです。

問題は、それが優しさだと思い込んでいる親の方なんですね。

もしかしたら、親御さんがお子さんの前でいつも疲れた顔をしているのかもしれない。

自分の境遇を嘆いたり、こんなに大変な思いをして育ててるんだ、というのが態度に出ているのかもしれない。

それを見て子供は気遣う。

その気遣いが偽物ということではなくて、お子さんは多分本気で心配してるのです。

何故なら本当に優しいから。

さらに「あなたは優しいから」と言われると、その期待にも応えようとする。

これもその子が本当に優しいからなんです。

でも、実は心のどこかで苦しんでいる。

優しいけれど、その子らしさが出ていない。

この優しさはどこかいびつである。

もちろん、立場が逆転するときもあると思うのです。

人間歳がいけば体力や気力も落ちてくる。

風邪をひくこともあるかもしれない。

介護が必要になるかもしれない。

もちろん普段の気遣いもあると思います。

そのときに優しくする。

子供の方が精神面で優位に立つ場合もある。

そういうときには、本物の優しさが出てくる。

けれども、今の世の中にはいびつな優しさがごまんと溢れている。

いびつな優しさ。

これを求められると、優しい人は本当に苦しみます。

責められているわけではない。

逆に「優しい」と褒められているのだから、相手を責める理由はない。

世間も相手を責める理由はない。

美徳に見えます。

だからこそ余計に苦しいのです。

家庭だけではないと思います。

学校や職場にもあるだろうし、友達関係や恋人関係まであらゆるところにこの誤解が侵食している。

相手との距離が近ければ近いほどこの誤解は気づきにくい。

本当に優しくすると、相手も自分も心地よくなるものです。

心から。

少しでも何か引っかかることがあったら、その優しさには歪みがある。

本当の優しさは強い者が弱い者に力を使わないこと。

これさえ覚えておけば間違えることはないと思います。

by You