世界の中心はどこのあるのか。

親愛なるあなたへ

世界地図というのがあります。

世界地図はそれぞれの国で構図が違います。

ヨーロッパではヨーロッパが中心に描かれている。

アメリカではアメリカが中心に描かれている。

日本ではもちろん日本が中心に描かれています。

どれが一番正しい地図か、というとそれぞれが言い分を主張するに違いありません。

ところが「地球儀」になるとどこを見ても中心が存在しない。

それぞれの国が「我こそは」と自分の国を目の前に持ってくるけど、どんなに地球儀を回しても地球儀の形は変わらない。

日本を中心にしたら地球が三角になった、とかないのである。

たとえ目の前に自分の国がなくても、反対側に回れば我が国が現れます。

世界には中心がない。

そう思うと、我々とはそんな大した存在ではないことが分かります。

何を言いたいのかというと、世界の中心になって自分に使命があるなどと思わないこと。

何かを解決しなくては、という勢いが不幸を生むこともある。

自分が何とかしなくては、と気負わなくていいのだと思うのです。

以前の大乗仏教小乗仏教の話ですが、お釈迦様は自分が悟ればそれでいい、そういう考え方の人物であった。

他人や周りの不幸に不感症になれ、ということではなく、ただ自分一人が実践していく、そういうものだと思うのです。

お釈迦様は世の中から悩み苦しみを消し去りたいと願い、死ぬ寸前まで自分を追い詰めました。

しかし、そのすごい人ですら望みを叶えることはできなかったのです。

お釈迦様もキリストも、世界の中心になったのではなく、ただ一人の実践者であった。

頼まれたら可能な範囲で手を伸ばし、あとは「別にどっちでもいいよ」と、自分一人が黙々と実践すればそれでいいのではないでしょうか。

その結果、周りが変わることもあるし変わらないこともある。

変わった結果自分が中心にいることもあるかもしれない。

でもそれはどちらでもいいのです。

自分本位であることとの違いが上手く説明できないので申し訳ないのですが、そういうものだと私は思います。

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