親愛なるあなたへ
笑ってしまう話ですが、もし私が教祖になるようなことがあれば、きっと教えを広めようとは思わないのでしょう。
「誰々がこう言ってました」という、いわゆる人づての権力というものは必ずどこかで話が違ってきます。
時代に合わないかも分かりません。
私が師弟関係を望まないのも同じ理由から来ています。
お釈迦様やイエス・キリストが教えを説いて回っても、決して自分が教祖という立場を取らなかった人達だったと思うのです。
いつのときも一人の「実践者」であった。
ソクラテスも、会話を通して哲学というものを周りに伝えていきました。
いつの時代にも合うように、そして、お釈迦様は自分の考えがうまく伝わらない世の中、いわゆる末法の世の到来も見通していました。
いつも時代が変わる。
その時代に合う柔らかいもの。
それが真理の本質なのではないでしょうか。
「あなたの考えを組み合わせ、あなたが教祖になりなさい」
「決して私に教わったのだと伝えてはいけません。」
もし自分が教祖だったら、こんなふうに言うのかもしれません。
by You