劣等感の裏返し。

親愛なるあなたへ

劣等感というのは非常にやっかいなものです。

誰でも劣等感を持っているのですが、それに気がつかないと自分が劣等感を与えられているとさえ思わなくなってしまう。

そして、相手も劣等感を与えているとは思わない。

この両方が気がついていない事実が人を苦しめるのである。

生まれたときには誰も劣等感を持っていません。

それが成長するに伴い環境が劣等感を与えるようになる。

分かりやすい例もあるのですけど、ほとんど大部分は巧妙に隠されています。

たとえば親の愛。

モラル・ハラスメントの話を書いてますけど、愛という形で劣等感を与えるようになる。

自分の劣等感を埋めようとします。

そして他者との関係では勝負事や人間関係。

もともと劣等感の少ない人が何かのタイミングに劣等感の強い人と会ってしまった。

劣等感のある人間はその裏返しとしての自信を相手に見せる。

そのときに社会に対する免疫ができていないと、劣等感の少ない方は自分が未熟なんじゃないかと思ってしまうのです。

そして本来は劣等感がないのにそれが原因で劣等感へと落ちていく。

たとえば最近こういう話を聞いたことがあります。

ある二人の男の人がいて、片方は女子会によく呼ばれるそう。

そしてもう一人は女性のことは大好きだけど、女子会などには興味がない。

そのうち女子会に呼ばれる男がもう一人に「あなた女子会でこんなこと言われてましたよ」と自信ありげに言う。

何も言わなくても、そういう顔をする。

態度をとる。

これ、分かりますか?

やられた方は女子会に呼ばれず悪口言われてる自分が未熟なのではないかと思ってしまうのです。

そして言った方は何故かさらなる自信を得る。

これが劣等感の裏返しの話である。

もし本当に女性の気持ちを理解して自信があるのであれば、女子会に呼ばれることは女性のことが分かっていて素晴らしいのだから、それで終わりなのです。

私も何回か女子だらけの中にいて女性の皆様はウワサ話で盛り上がってましたけれど、それはそれでいいではないですか。

別にそれをどうこう言おうとは思わない。

それを誰かに関連づけようとするのは、必ず本人に強い劣等感があるからである。

男女関係だけでなく、仕事もそうだし勝負事でもそうです。

本当の自信というのは「自分は自分で他人は他人」。

劣等感の裏返しは他人の評価が自分で本来の自己は不在なのです。

これが分かればこの世がパラダイスになると、そう思うのである。

by You