不届きな墓守。

親愛なるあなたへ

先日、祖母が亡くなったのでお参りに出かけてきました。

お通夜とお葬式ではありません。

ただのお参り。

自由を理念に「会いたくない人とは会わない」というコンセプトのもと、電子通信網を遮断していたら一通の手紙が届いたわけです。

親族のうち私だけが立ち会わなかったというのでおそらく身内からは批難轟々なのでしょうが、それはそれでいいのである。

手紙が届いた翌日、早速親の実家である北陸までノコノコ出かけていきました。

四十九日もまだの骨壺に「いや〜、どうもどうもお疲れ様でした」と軽いノリで香典を提出する不良中年は私くらいのものでしょう。

そして、訪問を喜んでくれた叔母と一緒に祖母がこれから入る代々続くお墓を綺麗にしてきて、スッキリした気持ちで大阪に戻ってきたのです。

ちょこちょこ墓参りでもしてくるか。

昔からお墓参りは好きでした。

かといって、お墓参りを勧める立派な人間では決してありません。

会いたくない人には会わないという理由でお通夜とお葬式に出ないスーパーマンである。

「散骨希望。上等!お家断絶」という人間である。

お墓参りは好きな人がやればいい。

でも、そんな私のことを祖母はすごく喜んでくれているような気がするのです。

お墓を掃除していたら季節はずれのウグイスがすぐ近くで鳴きはじめ、叔母が「おばあちゃんだよ、きっと」とすごく嬉しそうに言っていました。

社会人になってから親兄弟の中で祖母とやりとりが一番多かったのが私でした。

北陸にはちょくちょく顔を出していました。

これからは行先が自宅でなくお墓になっただけのことである。

亡くなった人との付き合いは形式ではなくて気持ちである。

お通夜やお葬式に出ないからといって祟りなどないのです。

生きてる人と同じように付き合えば、それでいいと思います。

by You