ごった煮。

親愛なるあなたへ

こうやって好き勝手なことを書いているだけで「ありがとうございます」と言われると非常に恐れ多いのですが、何か少しでも「心が軽くなりました」というコメントをいただく度に「役に立ってる感」がムズムズとしてやる気が湧いてきます。

ありがとうございます。

非常に単純な性格ですので、「よし、それじゃあもっと言ってやろう」ということで読者の方がだんだん困惑していくのである。

それで今日はどんな戯言かと言いますと、変な話、あんまり私にハマらない方がいい、ということなのです。

3年くらい前に「教祖になれると言われました」という記事を書いたこともありますが、私が話すことって、比較的多くの人が信じてしまうのです。

もちろん疑いまくってくる人もいっぱいいるのですが、仕事で営業してても「この人が言うのだったら」ということで信じてもらえることが多い。

でも、自分で言うのも何ですが、このブログを信じるのではなく、ご自身の目・ご自身の感覚を信じたほうがいい、と私は記事を書きながらも常々案じているのが実情なのです。

私も色んな人を信じてきて、それこそたくさんの師匠から色んなことを教わりましたけれど、最終的にはガンコ者ですから、いくら師匠が言おうが成功者が言おうが、自分の感じたことを「正しい」としてきたのでそこまで道を外さなかったのだと思います。

周りだけを信じると王道を外れる。

私はこの記事に、自分が本当に感じたこと、本当に体験したこと、そしてそこから成功法則が「本当か」を検証したことなどを、そのときの自分に従って素直に書いてますから、ここに書いてある2000個ちょっとの内容は、それは間違いなく私にとっての真実なわけで、だからこそ繰り返しお読みくださる方だけでなく、怪しい話を信じてくださる方もいらっしゃるのだと思います。

ただ、時代は変わっていきます。

今は、私が生きている時代です。

だから、この時代に合わせた言い方、表現、考え方をする。

私が今生きてる中で「正しい」と思える考え方を私なりにする。

私が師匠や成功者の話を頑として無視するときは、そのときの時代では合っているけど、今は合わない、というものが少なからず存在するのです。

ですから、私が書いてる内容も、時代が変われば役に立たない、あるいはこの考え方では逆に害になる、そういうものも必ず出てくると思います。

諸行無常

世の中は常に流転するものである。

過去の記事にも書いてあるのですが、私は色んな人を師として崇めようと思っていますが、私自身は「師」という立場になるのを極端に嫌うタイプの人間です。

懇願されても「弟子を持つ」などと恐れ多いことは生涯ないでしょう。

師を持とう、ある意味盲目になろう、というような内容も書きましたけれど、もちろん迷いがあるうちはそれも必ず必要なので書いているのですが、色んな意見を取り込んで、それをチャンポンにすればいいのだと思います。

世の中色んな考え方がありますから。

だから、自分にとって都合のいい考え方を混ぜ合わせ、それを貫き通せばいいのだと思います。

それが「自由」。

これが、私が唯一神さまが認めているものだと、そのように思っています。

どうか最後はご自身の目を信じてあげてください。

by You