動乱の予習、だから後で勝つ。

親愛なるあなたへ

昨日、大学入学共通テストの追試験が終わりましたね。

受験生の皆さま、本当にお疲れさまでした。

今年は東大前の事件、津波速報、不正問題、さらには問題内容の劇的難化・・・。

オンライン授業や感染対策などに慣れたとは言え、引き続きのコロナ禍の中でも。

そういったものすごい多くのものを抱えて臨む受験本番は本当に大変なことであったろうと思います。

昨年の生徒さんは最初のコロナ禍でかつ二転三転した初・共通テストの嵐の中を。

昨年現役で、今年浪人された方は、その両方を体験した「ものすごい動乱を乗り越えてきた人たち」ということになります。

「なんで自分の学年はこうなってしまうんだ」と若いときは絶対に思ってしまうのですけれども、この動乱を乗り越えたことが実は「ものすごい実力になっているのだ」と知っておいてほしいのです。

人間の実力は「自分の思っているところとは別のところでつく」という法則があります。

勉強を頑張ったのに先の背景から少しも実力が出せずまったく希望の大学に入れない、あるいは大学自体を断念したとしても、この「動乱を経験した」という一つの「予習」が必ず社会に出たときに役立ちます。

「動乱の中をどうしていくか」という立場に実際に立たされて、その超絶なストレスにさらされながらその場その場で判断していく、対応していく、ということを経験した人は、社会の中でそういうケースに当たっても「体が覚えている」からきちんと対応できます。

投げやりになりません。

そして潰れません。

令和の時代、周りの大人を見たりテレビを見ていても分かると思いますが何となく「不安定な時代だな」と生徒さん心なりに分かると思います。

私が普段接していても「なんで今の生徒さんはこんなに大人なのだろう」「色んなことを考えるのだろう」と思うくらい、今の生徒さんはレーダーが敏感です。

そして非常に大人な考え方をできる。

社会を見据えている。

自分の将来を設計している。

私が学生だったときはできなかったそんなすごい才覚を持ち合わせているのですから、そこにこの動乱が来たことはこれからの「自分の歩く道に必ず必要なこと」であって、決して嫌なこと、不運なこと、無駄な労力では絶対にないと知っておいてほしいです。

令和の時代。

これは夜明けの時代です。

夜明けには色んな動乱がつきものである。

受験という限られた世界に関してもこの動乱はまだまだ続きます。

今年から高校1年生が新しい教育課程に移行し、各教科で大幅な変更もある中(たとえば私が教える化学については熱化学という分野では以前も書きました「大学の考え方」に合わせることになります)、さらには「情報」という新しい必修科目も登場します。

科目が増え、問題は難化し、そしてその境目に立たされる人もいるはず(たとえば自分の次の学年から新課程の受験になるから、浪人したらそちらの過程で勉強し直す部分も必要など)です。

そしてこれらがひと段落、または同時進行くらいでデジタル化も加速化されるでしょう。

そしてそれもひと段落したら、一度共通テストで断念した記述式などが復活するかもしれません。

そういう動乱がおそらく夜明けの最初は続いていく。

動乱は中身ではありません。

「動乱」自体の予習で私は社会で勝てるのだと、そう知っておいてほしいのです。

私は学生時代にそういう動乱を経験せず社会で動乱を経験して、今こうして社長、経営者をやっています。

そういう動乱をすでに経験しているならば、それはすでに社会に出て「我々大人より一つ先のこと」が既にできる準備が整っているということ。

先に書いた「自分の気づかないところ」であって、その基盤はすでに盤石である。

「今の若い人々は、我々大人より前を歩いている」

これはミリオンセラー「嫌われる勇気」という本の著者の先生がおっしゃっていることでありますが、その通りだと思うのです。

後世に生まれる魂はすべからく我々より秀でており、それに対応する出来事が起こるだけである。

動乱の予習、だから、後で勝つ。

令和の時代の合言葉です。

これから私立大入試、国公立二次試験と本番が続きますけれども、この合言葉を胸に結果の如何問わず最後まで自分を信じて頑張ってくださいね。

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