もし「中継地点」になれるのなら。

親愛なるあなたへ

直接役立たないかもしれないけれど、何か道が開けるかもしれない。

使うか使わないか分からないけれど、ほぼ100%使わないかもしれないけれど、何かの一歩として役立つかもしれない。

教える内容を探し求めて渡り歩くこと十数社。

それまで「学校の勉強」という手段に出なかったのは、私の社会経験上から来る「罪悪感」のようなものがあったからかもしれません。

社会でほぼ100%使わない。

個人的に教えている化学についてもほぼ100%使わない。

自信を持って言えることです。

将来役立たない知識を教えてもいいのか。

自分が好きだという一方的な考えで教えてもいいのか。

そんな罪悪感です。

ただそちらの方に引っ張られている。

そんなさ中にこういうことを考えました。

直接使わないのは分かっているけど、「現行制度の道具として活用した場合、その進路の過程で道が開けるのではないか」という一筋の希望が罪悪感に打ち勝つモチベーションなのだと思います。

入学した先でたまたま一人暮らしが必要で、実家通いでは考えられなかった展開が始まる。

理系向きではなかったけれど、たまたま入った大学で運命の出会いがある。

そういう「この中継地点があったからこそ未来が切り開けた」という一部になることができるのなら、必要・不要の観念を超えて取り組めるのではと、そのように思います。

by You