危ない橋。

親愛なるあなたへ

何かを知ったように思っても実は表面だけ、というのは危ないですね。

全く経験がなければ、未熟ではあるけれども謙虚でいられる。

逆に何かを知り始めた、経験の「入口に長い間いる」と自らがそこを全て知ったような気になってしまう。

職業柄、高校生・高卒生とお付き合いし、大学生がヌシの街に住んで、そして自身の経験も併せて思い返せば、実は大学生が一番危ないのではと(笑)

高校から大学への自由度の変化は凄まじいものです。

行動範囲、交友関係、アルバイトを含めた仕事と金銭関係、お酒やタバコを含めた年齢制限のあるカテゴリーの解禁、一人暮らしを始める人も多いでしょう。

すると「社会に出たような気がする」。

学費その他を全て自ら賄っているというごく少数の猛者をのぞき、通常はまだ家族の保護の元。

高校生は生意気を言う人がいてもどこか学校という閉鎖的環境にいることを無意識に自覚しているのでしょうか。

そういう意味ではある意味謙虚のようにも感じます。

ところが大学生になると、これは自身の経験も含めても「生意気になる」のですね(笑)

もちろん人によりますし、周りの環境によるのも確かです。

「社会の入り口」に立ち続けるという考えてみれば特殊な年代から新しい風を学ぶとともに、社会に出た我々はその反面教師として自らの視野、世界観が「表面をなぞるだけ」になっていないか改めてチェックする必要があります。

特に情報化社会で「情報だけ」を得るとどうしても「気になりやすい」傾向は強まる。

大学生という立場の良し悪しではなくあくまで一つの例えであり自らを振り返った個人的な感想に過ぎません。

自分がどの年代であれ、たとえどんな立場であれ本質と離れた空虚の橋、実態のない危ない橋を渡るのは避けたいものでありますね。

「その気」になっていてもいざという時、嵐が来たら一発です。

反対に本質がドッシリしている頑丈な橋ならびくともしない、ということになりますでしょう。

私も改めて自戒したいと思います。

by You