「本当に望んでいること」とは何か。

親愛なるあなたへ

「人は心から望んでいることを実現する」

これは宇宙の法則ですからあの人には働くけどこの人には働かない、お釈迦さまの時代には働いていたけど平成の世では働かない、ということはありません。

でも現実にはほとんどの人が「自分では望んでいるのにそうならない」と言います。

何故でしょう。

その原因は至極簡単。

「本当はそう望んでいないから」なのですね。

去年のクリスマスイブにも同じ記事を書いたのですが、もう一つ分かりやすい例を挙げてご説明しましょう。

これも個人事情でお恥ずかしいのですが、私は学生時代に恋愛が上手くいかずその劣等感に悩んでいました。

恐らく私の中で一番のコンプレックスではないでしょうか。

どうして自分はこういつも上手くいかないのだろうと。

ですから飛び出して記事を書き始めたときに恋愛論に関し生意気にも意見表明しているのだと思います。

もし、学生時代の私が「人は心から望んでいることを実現する」なんて聞いたら「そんなわけないだろう」とわめき散らしていたことでしょう。

ところが「本当の私」は真剣な付き合いなど望んでいなかった。

こういうことになります。

まず、私の中で最も求めていたのは本当は「自由」であった。

それは家庭事情や育った環境、交友関係も含め何故か自由を望むようになっていた。

学生時代の私はそれを知らない。

本当の自分を知らない。

ところが、思春期にもなると並みの人の子。

色んな人を好きになる。

「自分はあの人が好きだ」

「付き合いたい」

そう思います。

ところが本当の私はこう思っていたのですね。

「自分はまだ学生だ。あの人のことは好きだけどもっと他にステキな人がいるのではないだろうか。社会に出たらなおさらだ。それに付き合ってしまったら他の女性と遊べなくなるし、あの人のことは大好きだけど他の女性からも声をかけられたい。そんな楽しい遊びをしばらくしてから理想の女性を探そうじゃないか。でも今結婚を迫られても困るし、大好きなあの人が理想の女性かどうかも分からない。もっといい人が出てきたらどうしよう。付き合えば楽しいし自慢もできるけど縛られることも多くなる。そもそも結婚しようなんてなったら何もできないじゃないか。それ以降恋愛もできないじゃないか。じゃあ『とりあえず』ってことで・・・。」

こんなこと考えていたら当然付き合えるわけありません(失礼極まりないのですが・・・)。

相手も無意識にそれを感じる。

隠れようがないくらい図星で学生時代の私が指摘されたら山にこもっていたことでしょう。

自分が本当に望んだ通りになっている。

それが分かったら「何だそうなのか」と急に肩の力が抜けてしまった。

本当の自分が一番分からない、と言いますが、そのために書き出しの頃は「相対、相対」「客観、客観」と騒いでいたのだと思います。

だから、本当の自分は何を望んでいるのか探ってみる。

混乱する自らの心に光を当て、本当の声を聞いてみる。

もし、本当に望んでいることが分かればあとは自分勝手で構いません。

するとその望み通りの現実がやってきます。

もちろん「本当は望みたい」けどそれよりも「より優先度が高い望み」があり、それがその人にとって嫌なことであっても、とりあえず「緊急的に最も望んでいるから」法則が働くケースもあり、また因果の法則もあり、運命の法則もあり、次第に怪しくなって一概には言えないのですけれど、まずは理屈家な筆者がすすめる論理的人生思考、ということでいかがでしょう。

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