未成年の選択と学校の存在意義。

親愛なるあなたへ

受験に関わる業界人全員が感じていること。

それが「共通テストの難しさと新課程における負担増のナゾ」ですね。

旧「センター試験」の位置付けは「基礎事項を短い時間で完璧に使いこなせるか」(それでも小生の頃に比べて格段に難しくなっていますが(汗))。

そして各大学の「二次試験」の位置付けが、「さらなる応用をじっくり時間をかけて取り組めるか」。

けれども、「共通テスト」には二次試験の要素が入り込んできている。

政府の目論見は分からないのですが、一つ「日本の活性化のために思考力を鍛えた人材を」ということなのだと思います(この方針については個人的な意見があるのですがこの度は割愛します)。

さらに新過程においては内容に大幅な変更があり、化学で言えば「大学の内容に触れる」単元も。

極め付けは「情報」なる新たな科目も増え、明らかな負担増が。

内容が難しくなり、負担も増える。

これについてお世話になっている予備校の先生と語り合ったところ、生徒さん側はおそらくは「二極化する」であろうと。

私も「そっち側」だったので気持ちがよく分かるのですが、ドロップアウトする生徒さんが増えてくる。

出来る人はガンガンできるし、ついていけなくなる人は早々に脱落してしまう。

これをどう考えるか。

見方によってはひどい政策のように見えますが、宇宙の流れで考えるならば。

業界人としてこんなこと言うのはおかしいのですが、受験なんてあくまで政府の敗戦後の復興政策の一つであって(もちろんそのおかげで豊かになれたわけですが)、一人一人の人生を強制的に決める「義務」などではありません。

その義務でもないものに同調圧力から強制的に詰め込まれ、本人の運命を閉ざしてしまう面が現実としてあるわけです。

もちろん学歴が社会に出るときのアドバンテージであることは今後も一定の割合であることでしょう。

しかし、早々に自分が学問に向いていない、そっちの道じゃないと早く分かる時代が来るならば、生徒さんたちの選択肢が増えるのではないか。

勉強ではない、未成年のときから人生を自ら選ぶ視野が開ける時代が来るのではないか。

そういう流れに向かっているように思うのです。

いきなり「学歴は関係ない」世界になることはないけれど、二極化した、学問とは無縁の人生を持つ強力な魂が戦い抜き、そういう世界ができてくるのではないか。

学問が好きな人は進めばいい。

そうではない人は違う道に進めばいい。

そんな当たり前の世界が。

全員が好きでもない勉強を強制的にやらされる世界ってよく考えれば異常なのです。

これからは学校の存在意義も根底から考え直す必要に迫られるでしょう。

あらゆる技術革新が加速する中、それと呼応するように勇敢な魂が学校の勉強などという時代遅れな政策を根底から覆し、新たな幕開けをリードしていく、そんなが時代が始まったように思うのです。

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