悟りと傲慢。

親愛なるあなたへ

運命は決まっているが、その運命は分からない。

その人の運命が完全に生きる道がある。

巧妙に隠されており、自ら歩むまで分からない。

分かってしまったら魂の成長に都合が悪いから、我々がどんなに知恵を絞っても分からないよう隠されている。

宇宙をつくる神さまだからそんなすごいことができる。

だから何も行動せずに運命を知った、悟ったというのも傲慢だけど、「人生こんなもんだよ」というのも、諦めより傲慢に近いのかなぁと。

運命は無限に枝分かれした設計図だから、そのうちの一つの選択だけで全体を「こんなもんだよ」と神に対抗して語るのは確かに傲慢な気もしますね(笑)

私も色々挑戦してきてなんとか大枠に乗ることはできましたが、その大枠の中で「この道かな」と思っても、どんどん違う道が出てくる。

自らの計画とは予想もつかないことが起きてくる。

でも、それも全てが神の計画した運命。

自らの魂が完全に生きて、幸福なる生を送るための運命なのですね。

それに素直に乗るかどうか。

「運命を悟る」とは素直な心で行動し続けることであると。

頭で理解することではないのですね、きっと。

by You