子育ての目的。

親愛なるあなたへ

親は必然的に子供を守る立場になりますから意識的にであれ無意識的にであれ「優位に立とう」とします。

そうしなければ子供を守ることは難しい。

しかし、子供が自分の足で歩けるようになった後もその優位性がいつまでも残っていると今度は歪んだ形で出てくることになる。

これが親子関係における諸問題のほとんどの原因です。

親は「子供に自立されるのが怖い」という恐怖を潜在的に抱えています。

子供に堂々と意見されるのが怖い。

親は「子供の扶養」という最終カードを持っていますから、そのカードを持ってるぞ、という何かを子供に言語・非言語で伝えることにより子供から意見されるのを防いでいます。

「そんなこと言うならお金は出さない」「そんなこと言うなら自分でやりなさい」「そんなこと言うなら縁を切る」

簡単に言えばそういう最終カードですね。

親は自分の方針で子供を育てていますからその育て方が「正しい」と思っています。

これも記事を書き始めたばかりの頃に言いましたが、自分が正しいと思っていれば、相手が別の道を歩こうが何しようが余裕を持って送り出すことができます。

正しさはいくつもあり、相手が正しいかどうか分からないけれども少なくとも自分は正しいと知っているのですから。

しかし現実的には最終カードをちらつかせるという行動が現れてくる場合が多い。

それは、裏を返せばそれだけ「子供に意見されたくない」という恐怖心が強い、ということになります。

簡単に言うと自信がない。

「自信のなさ」と「正しさへのこだわり」の差が大きければ大きいほど強烈な最終カードを出してくる。

実は親になるというのはこれを学ぶことが目的なのです。

もっと簡単に言えば「人はそれぞれ違うんだ」ということ。

多くの大人は「人はそれぞれ違うんだ」と口では言ってても本当は思ってないところがあるのですね。

すると神様は「本当にそう思っているのですか」と、子育ての試練を与える。

子供の道を賞賛してくれる親はほとんどが「親自身が望んだ」「親自身が操作した(意識的にであれ無意識的にであれ)」道を歩いた場合です。

自分の思惑や予想とは全く違う、自分の価値観とは全く相入れない道を歩んでそれをそのまま賞賛できる素晴らしい親御さんは本当にごくわずかだと思います。

そういう親御さんは素晴らしい魂を持っていらっしゃる。

でも、我々の魂も子育ての試練を繰り返すことでそこまでいけるのですから、まずはこういう情報に触れる。

聞きたくない「ドキっ」とするような情報に素直に触れてみる。

すると魂的に次のステージに行けるばかりか、この現世でも子供さんとの関係が良い方向に向かうように思うのですね。

p.s.

かくいう筆者はどうかといえば、私は子供を持ったことがないのですが「指摘されることについて。」という記事でも書いた通り子供さんや生徒さん、若い人たちに指摘されるのが不思議とあまり怖くないのですね。

間違ってたなと思ったら素直に謝るし、行動の理由を聞かれれば自分の信念を説明する。

行きたい道があるのなら自分が全く知らない世界でも「面白そうだね」と言ってあげる(これはフラフラする好奇心の塊、自由人の性でありますね(笑))

もともと私も「子供が欲しい派」(それもなぜか女の子が欲しかったですね)だったのですが、そういうことにいつしか気づいてそのまま生活を送ってきたら神様が「子育ては今回はもういいよ」と言ってくれている気もします。

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