親愛なるあなたへ
理論や理屈を話すと、人間は感情の動物だからそんな無味乾燥な生き方をしてどうするんだ、という人を見かけます。
もちろん私も感情を大切にしますし、こう言っては何ですが思い切り感情的に生きているので顔にウソがつけません(これもどうかと思いますが)。
ところが、感情的満足度もさることながら、その感情になったとき「何故そうなったのか」を考えてみます。
その記録として真面目なときにポロポロ書いているのがこの記事です。
つまり、理論は感情を制御するためのブレーキ。
ここで重要なのは、道徳論や精神的高尚さからの話ではないということ。
感情を「都合よく制御する」ために使う。
「損得勘定で制御する」。
自分が気持ち良かったり楽しかったりするときはそのままの感情で突っ走ってよろしい。
理論と理屈が最も役立つのは、苦しかったり嫌な感情を抱いたときですね。
たとえば私はかなり重度の花粉症なのですが、知識浅はかのため「薬剤性鼻炎」の入り口に来てしまいました。
病院できちんと処方してもらえばいいものを、手軽さから市販薬の「鼻づまりが取れるスプレー」を毎年花粉症の時期に数か月使っておりました。
ところが、その作用機序は血管を一時的に収縮させて鼻腔を広げる、というもの。
詳しい内容は以下のURLをご参照いただくとしまして、今季何度か使ううちにスプレーしても全く効かない、という事態に驚いてしまいました。
ありがたく拝読させていただきました記事によれば、とにかくちゃんと受診して、まずは血管収縮作用のあるスプレーを断ち切ること。
これが当然ながら苦しいのですよ。
もちろん程度や仕事などのストレス環境によると思いますが、今の私の状況であれば「理論で想像」してみます。
生物化学系の大学で製薬会社勤めだった知識も助かって、「血管を無理やり収縮してその反動で拡大して鼻がつまるのだから、やめれば少しは恒常性で元に戻るはずだ」。
「緊張で血管は自然収縮するから、起きてるときはある程度は大丈夫(その結果を得る)」
「血管収縮作用があるコーヒー(カフェイン)を飲むと少し治まるのか、面白い(こちらもその結果を得る)」(もちろん一瞬そうなったような気がした(?)だけで、依存性はNG)
「寝てるときには鼻腔内がこんな風に穴をふさいでいるのだな」
苦しいのは特に夜寝るときですが先のURL中にあった写真を見ながらでも、理論で想像するのですね。
鼻が詰まるとき毛細血管に血液がものすごい流れて粘膜が風船のように瞬く間に膨潤する様子を想像する。
解剖学は全く分からないけど自分の鼻腔内部を想像する。
想像できる理論だけ。
これが、苦しいときや嫌な思いをしたときの感情をコントロールするコツです。
人間は目に見えなかったり何も理由が分からないときの恐怖から苦しさが倍増する。
けれども、もし目の前に塞いでいる自分の鼻腔が常に見えてるとしたらかなりの興味を持つかもしれません。(医療動画を見てみるとか)
精神的に簡単にいく方法ではありませんね。
今回の事例も、今私の精神がかなり落ち着いているからできることであって通常の仕事で諸々の事情を抱えていれば相当難しいと思われます。
けれども、人と会って何か嫌な思いをしたときに練習してきた成果、と言われればそのようにも思えます。
練習してみる。
平素の小さいことでも練習してみる。
痛いとか苦しいという生理的現象は先に述べたように難解な話だと思いますが、何か嫌な思いをした、あるいは目の前に自分の感情を害する環境がある。
そのときに理論と理屈を試してみる。
現実的には、実はそのとき最も使えるのです。
特に、嫌な思いのときの理論と理屈の訓練で「人間と人生が見抜けるようになる」というものすごいお得な話でもあります。
p.s.
楽しいときそれで暴走して後で痛い目を見た経験があり、今回その別ケースと考えられるなら、そのときも理論で想像してもいいですね。
そういうとき、同じ轍を踏まなくても済みます(私は踏んでしまいますが)。
楽しいときにも「都合よく」理論は使えます。
p.s.2
もちろん気分を害する環境、嫌な思いをしたとき、相手の波動・方災・霊障・その他諸々のいわゆる「現代科学の理論と理屈の想像で対処できない」ときもあります。
それらに思い当たるときは、状況を理論に落とし込みながら、そういう理屈に合わないところへも助けを求めていいわけです。
by You