親愛なるあなたへ
人は適当に変わっていかないといけない生き物かもしれませんね。
一つずつ脱皮して。
世の中に合わせると意外にラクできてしまうようだ。
昔、天下を統一した織田信長はどんな状況でも死ななかったそうです。
とんでもなく危険な目にあっても脱していた。
残虐非道な人間であったが、ある意味ものすごい強運の持ち主である。
どうしてそんな人間に天が味方するのか不思議になりますけど、空から当時の日本を見たときに、戦国乱世が100年も続いた後は太平の世にしなければならない。
刀や包丁を作るときでも最初の荒削りがあるように、火花散らしてガリガリっと仕上げていくため彼のような人物が必要であった。
ところが、信長は本能寺の変であっさりとやられてしまいました。
どうしてかというと、刀がある程度仕上がったらもう荒削りは必要なくなるからです。
もし信長がそのときに気づいて「中削り」「磨き上げ」の段階に入ったら生き延びられたのかもしれない。
世紀の大天才、アインシュタインは相対性理論を完成させ、世界中から熱狂的な歓迎を受けました。
当時、「喜劇王」と称されたチャップリンが、「私が人気があるのはみんなが私を理解できるからです。しかし博士、あなたが人気があるのは誰もあなたを理解できないからです」という逸話まで残っているくらい。
ところが、晩年は学会の第一線を退き孤独に過ごしていたようです。
理由は、相対性理論を根本から揺さぶる量子力学という概念が出てきたからです。
世の中が量子力学に熱中する中、アインシュタインだけはその理論を認めようとはしませんでした。
アインシュタインが、もしそこで量子力学を受け入れた新たな理論の模索を始めていたならばまた違った人生になっていたかもしれない。
何だか分かりにくいと思いますけど、簡単に言うと、我々は大きな流れでは天の意向に沿って生きているのではないかということです。
もちろん自由という個人の選択が与えられているのですから、道徳論的な「正しい生き方」というのは苦しいものです。
でも、我々が天を駆けていく馬に乗っているのだとすると、その手綱さばきしだいで人生が決まる。
馬なんか乗ったことないですけど、ポニーに乗るのとじゃじゃ馬に乗るのではやっぱり違うでしょう。
じゃじゃ馬にポニーに乗るつもりでいたら蹴り飛ばされるし、逆にじゃじゃ馬のつもりでポニーに乗ってもスピードは出ません。
そのときそのときで、クイックイッと上手くやる。
それまでの価値観を捨てることはないけれど、世の中に上手に合わせる形でやっていく。
それが神様が言ってくれる人生の上手な乗りこなし方ではないかと、そんな風に思うのです。
by You