技術としての怒り。

親愛なるあなたへ

怒りは「相手を屈服させようとするコストの安い未熟なコミュニケーション」と言われますが、出したり引っ込めたり、それを一つの「技術」として用いたならば全体に利益が出る面もあるのではと。

自分の気持ちを全面的に押し付ける未熟さは、計算せず流れに身を任せ、相手の冷静・理論的・誠実な反応に対しても長く続く。

技術としての側面は、必要な場合だけ即座に出し、相手との建設的なコミュニケーションに移行したならばすぐにないものとする。

一見二重人格のように見えなくもないですが、それが「技術」の証だとも。

もちろん最初から怒りの技術を使うわけではありませんね。

何度も何度も理論で冷静に伝えてもダメな場合。

精神論や道徳論は結構だけれども、経営者の端くれとしての合理主義の立場からは、世の中がより良くなりますように。

建設的に向上しますように。

精神的に優れた物語を語っても現実が向上しないのであれば、極端な話私はその場に関してその物語は排除しても構わないと思っています。

怒りの技術は意志表示を相手に伝える本気度として、双方の発展のために良く作用することもあると思うのですね。

by You