親愛なるあなたへ
おんなじ文章でも、毎回意味が変わってきます。
一回目に読んだときは何とも思わなかったものが、しばらくたってから読むと「そういうことなのか」という気づきが得られることがあります。
はじめに気づいた気づきとは、まったく別の気づきを得られることもあります。
文章を深く読むと、その文章から得られるものは必ず変わってきます。
文字の羅列自体は変わりません。
でも、文章を読むのは文字の羅列を頭にインプットする作業ではありません。
文書を読むとは、行間を読む、ということです。
一回目に読んだときは、行間ではなく文字そのものから学ぶ文章もあります。
それも素晴らしいことです。
でも、素晴らしい文章には、行間にもっと深い意味が込められているのです。
「何かを伝えたい」という文章には、行間に無限の解釈が存在します。
僕はときどき過去の自分の記事を見直します。
すると、自分でも「なるほどね」と納得します。
自分で書いているのに、自分で納得するのです。
しかも、毎回異なる意味合いで納得するのです。
僕は、記事を書くときには手が勝手にキーボードの上を走っています。
「もう一人の自分」がパソコンに向かっているようなイメージです。
「何かが降りてくる」という人の気持ちが、分かります。
これからも、記事を読んでくださるあなたが無限の気づきを得られる言霊を、書きます。
by You