親愛なるあなたへ
自信というのは他人に求めるものではありません。
自信は自分の中にあるのです。
自分の中にあるものですから他の人から見てどうかというのは関係ないのです。
他の人が賛同してくれれば、嬉しい。
同じ世界観を共有できる喜びです。
でも、去っていく人がいてもいいのです。
本当に自信があれば見送る余裕が持てます。
「あの人にはあの人の考え方があるんだな」と思えるからです。
記事を書き始めた頃にも同じことを言いましたけれども、引きとめようとするところに自信はないのです。
引きとめるところには共通点があります。
「なぜ出ていくのか」を聞くのです。
「出ていく方がおかしい、なぜだ」と問い詰めるのです。
出ていく本人にはハッキリした理由があるのに、それを自分たちの枠に無理矢理当てはめようとします。
置いていかれる恐怖感があるからです。
出ていく人がいるなら、どうして出ていってしまったのかを考えることです。
それを考えずに人情論や常識論とすり替えるから前に進めなくなるのです。
このことに気づかないと同じことを何度も繰り返してしまいます。
僕は僕から去っていく人がいても全く止めません。
僕には僕の考えがあるからです。
僕がどうしても去られたことが気がかりになったら、自分自身を振り返ります。
「後輩が同じミスをしたら同じミスをさせてしまった自分自身を振り返る」という記事を書きましたけれども、それと同じです。
僕の尊敬する中谷彰宏先生の塾にも引きとめがありません。
僕が中谷先生を信頼する理由の一つです。
離れたくなくて出ていく人はいません。
去っていく姿を見る度にため息をついている人はこのシンプルな真理が分からないのです。
去る者を追わなくなると、本物になります。
本物になるかどうかは自分が決めることなのです。
by You