親愛なるあなたへ
最近何となく分かったのは、魂というのは自ら何回も生まれてきたがっているようである。
因果解消や才能の飛躍のために、総じて魂自身を磨くためであるが、こんなに辛いことをどうして好き好むものかと思っていたが、この乗り越えた快楽というのを楽しみにしているようだ。
どんなに辛くても、あまりの辛さに前世自殺してしまっても、それでもまた挑戦したくなる。
我々も何かに挑戦するときは辛くてもそれを乗り越えた快楽を期待する。
例えば肉体美を目指して腕立て伏せをしたら、もしかしたら「腕」は何でこんなことをさせるのかと思っているかもしれない。
でも私たちの意識はその目的を知っているから、腕が痛くてもしようと思う。
肉体美であわよくば女性にモテようと胸躍らせているのである。
そして乗り越えた暁には、腕の方も女性の美しい肌との心地よい触れ合いを経験してその目的を知るかもしれない。
はたまた、そのような目的がなくとも、我々男群というものは自己満足のためにトレーニングを積む。
別に何か結果を生むわけではないから、腕からすれば何のご褒美も得られていないような、いわゆる「努力したのに、苦労したのに何にも報われない人生」だと思っているかもしれない。
だが、我々はそれを通した成長の快楽を知っているのです。
それと同じで私たち自身がこの「腕」だとしたら。
自分には分からないけど、自分を導いている何かがあったとして、それが完璧な目的のもとに進められているとしたら。
たとえ人の意識が今は幸せを感じられなくても、あなたの魂はいつも幸せになる方向へ向かっている。
これは間違いないと思うのです。
by You