素晴らしき仮病。

親愛なるあなたへ

あんまり根詰めてはいけませんよ。

適当に柔らかくいきましょう。

僕は記事に立派なこと書くでしょう?

でも全然立派ではなくて今なんか仮病使って会社休んで記事を書いているのです。

だって記事が間に合わない。

さっき上司に体調悪そう〜に、辛そう〜に言うのです。

普段一生懸命働いていて誠意を見せておいて、これくらいなら信頼してくれるかな、という段取りで。

アルバイトであるという身分を利用して「社員ではないから許してください」的に。

さらに病院行って診療証明書までもらってこようという算段のよさ。

でも実際は記事を書いて温泉でのんびりしてこようかなと思っております。

仮病使っていいんですかって、いいのか悪いのかっていう道徳的な話はよくわからないのです。

でも、柔らかくいかないと辛くなってしまいますよということ。

仮病を使うのが悪だという人は、必ず「人に迷惑がかかる」という言葉に後ろめたさを覚えるのです。

昔は戦争で死んでいくのが当たり前でした。

命を惜しんで逃げる、というのが許されなかった。

もし逃げるという意識が蔓延したらそれで日本が滅ぶ。

だから一人でも逃げるという考えは悪だ。

そういう軍国主義できました。

でも今ではそんなのキチガイです。

「どうして自分の命を大切にしないのか」という当たり前のことが分かっている。

今はサラリーマン乱世。

会社のために、仕事のために、あなたがいなかったら仕事が回らないから、あなたの体と人生をすべてかけて尽くすことが正しい道です、と教えられてしまった。

さらに不思議な話が好きな人は「自分がやったことが自分に返ってくる」と勉強するものだから、人を困らせると自分も困ることになるという流れで、仮病を使えなくなってしまうのです。

そんなことはないから大丈夫。

「どうして自分の人生を大切にしないのか」

自分の人生を行きましょう。

自分が大切にしていることをまずすればいいのです。

それが神様が本当に望んでいること。

もちろん何日も会社に行かなければクビになるかもしれないし、仮病がバレれば気まずい思いをするから、そこはちゃんと考えてスッと上手くこなすのです。

僕なんかシタタカだから普段いい人を振りまいておいて誠意を見せて、さらに明日手土産でも持っていこうくらいのことは平気で考えるのである。

それで、感謝すればいいのです。

仮病を受け入れてくれるところなら「ありがたいな、もっと一生懸命働こうかな、もし誰かが仮病になっても許せるな」とこう思う。

その人の分も倍働こうと思う。

面白いことに、真面目に生きようとすると人は人を許せなくなってしまうのです。

だから仮病を使ったことがない人は仮病を許せない。

どうしてオレは胃潰瘍やガンになるまで頑張っているのにアイツは嘘ついて休むんだと、こうなるのです。

そしてこれが怖いのが、頑張って体を酷使すればするほど酷使しなければいけないような罪悪感にとらわれてしまいます。

冗談でもなんでもなくマインドコントロールである。

どっちがいいか、という道徳論はやっぱりよく分かりません。

でも確実に過労死で死ぬよりはマシな気がします。

仮病って、「仮病」なんですよね。

仮の病。

「偽病」とは言わない。

もし本当にだめなのなら、神様がそんな名前をつけたりはしない。

そう思うのです。

それに休みたくなるような職場ならそこにも問題があるわけで。

「迷惑をかけられている人間」にも問題が(笑)

だから気にすることはないのです。

子供が学校でいじめに合っているなら仮病使って学校について行ってあげてください。

人生の心満たされることがあるならそれを先になさってください。

世間はそんな無責任な生き方が許されるわけがない、ましてや神が許すわけがないと言うけれど、申し訳ないけど僕は不良なので不良的なことしか言えません。

僕にそういうインスピレーションを与えてくれる神様ももしかしたら不良なんじゃないか。

でもそんな自分を、僕は大好きなのです。

みなさんも是非自分が大好きになれる生き方をなさってください。

いつも仮病がいいとは言いません。

正直仮病すら使えない環境、仕事もあると思います。

そのときは逃げてください。

仮病どころか、あらゆる手段を使って逃げてください。

そして、自分らしい人生を歩んでください。

不良で、したたかで、明るく楽しい、自分が好きだという神様はそう言ってくださるような気がします。

by You