ステイタス・クオー。

親愛なるあなたへ

学がない中エラそうなことは言えないのですが、「現状維持」をラテン語で「ステイタス・クオー」と呼ぶそうです。

人間は常に「現状」に生きている。

現状を維持したがる生き物である。

変化が、それが急激なものであればあるほど、たとえ絶対的に必要なものであったとしても、「今この現状を壊すのか」という伝家の宝刀を取られるとできなくなる。

すると、その現状をあたかも変えようとしているかのごとく「ボカシの効いた」議論を展開するわけです。

記憶に新しい橋下市長の大阪改革もそうですし、今フレッシュな安保法案に関しても。

大阪を変えようとした橋下市長に対して「現状」を発動する。

都構想を批難することで何かが生まれるような気がするが、それこそが現状にしがみつく人間の本性である。

非常に分かりやすい出来事でした。

一方、今の安保法案は少し分かりにくい。

安保法案の賛否ではなく、その議論そのものが「ステイタス・クオー」だからである。

簡単に言うと、これが成立しようがしまいが、日本の世界に対する、特にアメリカに対する地位というのは何も変わらないのである。

それは歴史と経済と、そして国際的な影響力をシンプルに考えると難しい議論をしなくても答えが出てしまうのです。

簡単に言うと、安保法案が成立しても、アメリカがちょろっと原爆ををつっこめば日本は簡単に滅ぶ。

それをしないのは、日本をとりまくあらゆる環境が先方にとって不利だからである。

戦争どうのこうのの話ではない。

過激な話かもしれませんけど、日本は世界に対して何もできない国だという真実を明るみにせず、あたかも前進しているような「ボカシの効いた議論」を展開している。

それが今の安保法案です。

このような議論を、戦後何十年にも渡って日本は続けてきました。

これらがいい悪い、ということではなく、そうせざるを得ない世界事情が日本にはある。

ただ、それを本気で信じてドタバタを起こしている日本というのは現状にしがみついているに過ぎないのだという事実に、少し目を向けるべきだと思うのです。

その状態が分かれば、国民の反応も変わってくる。

こんなことは言いたくありませんが、ウソと強欲で固められた政治家の対応も変わってくる。

日本国民が今必要としているのは、アンチ・ステイタス・クオーのための心眼だと、そう思うのである。

by You