苦労の量。

親愛なるあなたへ

少し前にある友人の話を聞いて、なるほどなぁと思ったものがあります。

その友人曰く「人間の苦労の量は一生涯で一定である」

一気に苦労が押し寄せるか、生涯通じてじわじわいくか。

彼は大学の同期で、そのときあまりにも幼稚過ぎた大学生活を送ってた私には分からなかったのですが、今思うと彼は当時の時点で相当苦労していたのだと思います。

そんな彼と久々に会い、私が普段通り振る舞っていたにも関わらず「相当苦労したんだね」と言われたときに「コイツはただものではない」と(笑)

自由奔放に生きて何のストレスもない、というのがほとんどの人の見立てなのですが、それを一発で見抜かれたのはこちらとしても迂闊であった。

話がずれまして、そう、苦労というのが一生涯で決まっているとのこと。

ということは最初にたくさん苦労しておいた方がいいのでは・・・。

「苦労は買ってでもしろ」とはそういうことか。

「苦労は奪ってでもするものだ」と意気揚々と記事に書いたこともございますが、イザやってみるとこれはもう目が回る大変さですからあまりおススメできないというのが無責任極まりない事後報告なのである。

やる価値はもちろんありますけれども。

私の場合はそこにプラスアルファ怪しい話が入るので、因果とか定めとか先天運と意志の割合とか、そういうのも苦労のファクターとして考えられそうですから、「どう見てもあの人と私の苦労は違う」という強かな抵抗であっても不思議な話に持ち込んで相手が迷走爆走万事解決、グフフというのが一応理論になっておるのです。

それでも、そういう話を込みにしても、色んな人を見ていると、確かに人の苦労は「ならす」と一定かもしれない、と感じるところもあります。

歳とってからは大変ですから私はまだ青年装える中年前半でヨカッタ。

by You