お金の本質。

親愛なるあなたへ

お金については飛び出してから6年ちょいの間ずぅっと学んできて、その度に記事として発信しているのですが、「お金は流れである」「お金は本来存在しない」と色々書いてみて、結局お金とは何ですか、というと最終的には「価値の創造のプロセス」なのですね。

世の中の人がお金に対して何故偏見があるのかは、「有限だと勘違いしている」と、もうこのことに尽きる。

「創造のプロセス」なのだから、ゼロから一の「価値」が生み出された瞬間にそれを提供する側と消費する側をつなぐ潤滑剤として「お金」という概念が発生する。

ゼロから一を生み出すのは「アイディア」だから、アイディアが無限にあればお金は無限にある、ということ。

アイディアが無限に出てくるのは「帰納的」ではありますが歴史が証明していますから、人類がアイディアを出し続ける限り、結論としてお金も無限にあるのです。

みんなお金というものが「どこかに貯蓄されている」と思ってるから、それが有限で、全体で分けると多い人もいるし少ない人もいるから「人のものを横取りするような『卑しい人間』になってはダメよ」という話になるのである。

世の中の人がお金に偏見がある理由は、本当にこれしかないのです。

例えば、水はいくら使っても「使いすぎ」とは思わない。

「贅沢だ」とは思わない。

水不足のときは別だけど、普段「水の総量」を考えて使うわけではない。

お風呂にも平気で入るし、喉が乾けば好きなだけ水を飲む。

何故かというと、日本に関して言えば水は雨として「無限に」降ってくると思っているから。

もっと分かりやすいのは「時間」。

みなさん時間はいくらでもあると思っていますね。

「人生の時間は有限だから」と色んな成功者が口酸っぱく言っても「今日もくだらない飲み会に行ってしまった」と反省するのは、時間が無限にあると思っているから。

人間は「無限にあるもの」に偏見は持たないのです。

お金は無限にあります。

もっと正確に言うと「無限に湧いてくる」。

お金とは、生み出した側がその価値を使ってもらうときと、欲しい側がその価値を消費するときに交わす「情報」。

だから価値を生み出せば「お金という情報」は無限に湧いてくる。

そして、その「情報の差」が、いわゆる「利益」と「損失」です。

生み出した価値が大きくて消費者がそのちょっとを消費するのだったら、莫大な利益が入る。

同等ならゼロ。

逆に生み出した利益以上のものを消費しようとすると、提供した側が赤字になってしまうのですね。

お金とは本当にシンプルな構造をしています。

by You